9/15 団結から威力行使へ
 労働争議が過激・凄惨になる理由が、此処で理解出来るのではないのか。
 草案策定者・立法者の脳髄にも全身にも、メシアの予言の成就、神の国の実現と云う、赫奕たる使命感が漲っているのである。それが条文に投影されるのは当然だ。いや、投影なんて生易しいものではない。呪いとして封じ込められている。
 28条に触れた者は28条に停まっていてはならぬ。メシアはゴイ国家を破壊し、ゴイ国家を支配せよと命じておられる。団結権はその為の方法論の一つだ。
 団結権は、穏便・温厚な話し合いなどは想定しておらぬ。だいいち、お話し合いなら、団結など不要であろう。
 団結とは示威であり、闘争意思の表明である。会社や国家に対する宣戦布告とほぼ同義なのである。
 団結した以上は団結で留まっていては居てはならぬ。当然に団結権の威力行使に出るべきなのだ。即ち、ゴイ国家の破壊とゴイ国家の支配、である。団結権行使に踏み切れば、国家破壊と国家の丸ごとの支配を強烈に志向せずにはおれない筈だ。
 ゴイムは分離させて争わせよ。これがユダヤの神の教えである。
 日本人同士を分離させることが大切であるが、分離に一工夫が要る。単純な色分けでは紛糾に至らない。其処で次の論理トリックを用いる。
 「労働力は搾取されている」⇨ 
 「搾取された労働力で資本家は富を築いた」⇨
 「資本家の富は搾取された労働力である」⇨
 「資本家の富は労働者に返還されるべきである」⇨
 「故に、労働者は資本家から労働者の富を取り返せ」
 斯くしてゴイ共は、互いに醜く争い合う。
 日本人同士の醜悪な内紛と闘争を見る時、ユダヤはゴイムが救い難く愚かな家畜・畜生であることを確認する。ゴイムが富を奪い合い、浅ましく互いを裏切り合う時、タルムードの教えが真実であることを確認する。タルムードが説く様に、日本人は屠殺されるべき家畜であり、その富も生命も奪われるべき豚であることを知るのである。