8/6 人権トリック
人権を主張した途端、主張した者が、世界を「支配者-奴隷」の対立構造で認識してしまうところが、狙い目・付け目なのである。
狙い目・付け目とは、人権思想を吹き込んだ者にとって、の趣旨である。つまり人権思想が意味を持つのは、人権を主張する者でもなく、人権を主張される者でもない。唯一、人権思想を教唆・使嗾(しそう)した者にとって意味があるのである。
人権思想を吹き込まれた者(被教唆者)は、人権思想の思想メカニズムの必然として、自己の立場を奴隷側にあるものと認識してしまう。客観的に奴隷側であることもあるし、本人の思い込みの時もある。それも教唆者にとってはどうでも良いことである。
ここに人権思想の恐ろしさの本質がある。被教唆者が人権を唱えたら最後、「権」の支配意思を止めることが出来ない。権の原理の宿命で、「権」を拡大・伸長する相手を不可欠とするのである。どうしても、自己の意思を及ぼして、排除・制限すべき他者の意思を必要とするのである。少しピント外れの譬えだが、妖刀村正の様なものか。持つと斬りたくなる。唱えると打ち倒したくなる。
纏めると以下になる。
人権思想は、唱える側にとっても、唱えられる側にとっても有害である。
唯一利益があるのが、背後で人権思想を吹き込んで唆(そそのか)し仕向けさせる者である。
唱える側と唱えられる側の両者をして紛争に至らしめることが人権思想の神髄である。
紛争に至らしめることで、教唆者は両者間の紛争の勃発を予見でき、準備できる。教唆の濃淡・程度を調節することにより紛争勃発のタイミングを計算することすら可能となる。
では教唆者は何を準備するのか。両者の勝敗の帰趨では決してない。自己の儲けを準備するのである。教唆者は既に金融業で網を張りめぐらせてある。証券業・銀行業である。紛争の勃発が予め分かっているのであれば、まず直前で株を売り抜けることが可能になる。直前で食料・燃料・武器関連産業が急騰する。何だったら引金を誰かに引かせても良い。金で買える鉄砲玉は何処にでも転がっている。
投資は二度オイシイ。次は紛争で株式が暴落するから、暫くして二束三文となった株式を更に買い叩けば良い。
紛争に至る前の両者にベラボウな高利で貸し付けする。その際、しっかり担保を取る。勿論、不動産も担保に取るが、商権・利権・身分・地位・爵位・ブランド・暖簾、何でも取る。そして必ず対立する双方に融資する。勝っても良し、負けても良し。どちらに転んでも損は有り得ない。但し紛争を起こすことが絶対条件だ。
つまり紛争を起してこそ人権思想が成就し、達成されたと言える。
人権思想とは奴隷をして反抗に至らしめるための麻薬入り覚醒剤、思考停止の興奮剤、あるいは見せ掛けの剣、張ったりの棍棒である。
人権思想とは断じて自ら信ずるものではない。ユ〇ヤ人は4000年前から、それが良く分かっている。なにしろ人権思想とはユ〇ヤ人がユ〇ヤ人以外を騙す為に、ユ〇ヤ教から作った模造品、贋作、紛い物だからだ。ユ〇ヤ人にとって信ずるものは、神が与えたトーラー・タルムードだけだ。ユ〇ヤ人が作ったユ〇ヤ教の模造品を、ユ〇ヤ人自身が信ずる訳がないではないか。それはゴイム(家畜)たる異邦人を籠絡し、絡め捕り、手玉にするための麻薬・毒薬でしかない。その麻薬が如何なる効果を生じ、毒薬が如何なる効き目を発揮するか、ユ〇ヤ人自身は知り過ぎるほど知っている。
知らないのは、学者先生に唆されて、有難がって貪り飲む日本人だけだ。
人権を主張した途端、主張した者が、世界を「支配者-奴隷」の対立構造で認識してしまうところが、狙い目・付け目なのである。
狙い目・付け目とは、人権思想を吹き込んだ者にとって、の趣旨である。つまり人権思想が意味を持つのは、人権を主張する者でもなく、人権を主張される者でもない。唯一、人権思想を教唆・使嗾(しそう)した者にとって意味があるのである。
人権思想を吹き込まれた者(被教唆者)は、人権思想の思想メカニズムの必然として、自己の立場を奴隷側にあるものと認識してしまう。客観的に奴隷側であることもあるし、本人の思い込みの時もある。それも教唆者にとってはどうでも良いことである。
ここに人権思想の恐ろしさの本質がある。被教唆者が人権を唱えたら最後、「権」の支配意思を止めることが出来ない。権の原理の宿命で、「権」を拡大・伸長する相手を不可欠とするのである。どうしても、自己の意思を及ぼして、排除・制限すべき他者の意思を必要とするのである。少しピント外れの譬えだが、妖刀村正の様なものか。持つと斬りたくなる。唱えると打ち倒したくなる。
纏めると以下になる。
人権思想は、唱える側にとっても、唱えられる側にとっても有害である。
唯一利益があるのが、背後で人権思想を吹き込んで唆(そそのか)し仕向けさせる者である。
唱える側と唱えられる側の両者をして紛争に至らしめることが人権思想の神髄である。
紛争に至らしめることで、教唆者は両者間の紛争の勃発を予見でき、準備できる。教唆の濃淡・程度を調節することにより紛争勃発のタイミングを計算することすら可能となる。
では教唆者は何を準備するのか。両者の勝敗の帰趨では決してない。自己の儲けを準備するのである。教唆者は既に金融業で網を張りめぐらせてある。証券業・銀行業である。紛争の勃発が予め分かっているのであれば、まず直前で株を売り抜けることが可能になる。直前で食料・燃料・武器関連産業が急騰する。何だったら引金を誰かに引かせても良い。金で買える鉄砲玉は何処にでも転がっている。
投資は二度オイシイ。次は紛争で株式が暴落するから、暫くして二束三文となった株式を更に買い叩けば良い。
紛争に至る前の両者にベラボウな高利で貸し付けする。その際、しっかり担保を取る。勿論、不動産も担保に取るが、商権・利権・身分・地位・爵位・ブランド・暖簾、何でも取る。そして必ず対立する双方に融資する。勝っても良し、負けても良し。どちらに転んでも損は有り得ない。但し紛争を起こすことが絶対条件だ。
つまり紛争を起してこそ人権思想が成就し、達成されたと言える。
人権思想とは奴隷をして反抗に至らしめるための麻薬入り覚醒剤、思考停止の興奮剤、あるいは見せ掛けの剣、張ったりの棍棒である。
人権思想とは断じて自ら信ずるものではない。ユ〇ヤ人は4000年前から、それが良く分かっている。なにしろ人権思想とはユ〇ヤ人がユ〇ヤ人以外を騙す為に、ユ〇ヤ教から作った模造品、贋作、紛い物だからだ。ユ〇ヤ人にとって信ずるものは、神が与えたトーラー・タルムードだけだ。ユ〇ヤ人が作ったユ〇ヤ教の模造品を、ユ〇ヤ人自身が信ずる訳がないではないか。それはゴイム(家畜)たる異邦人を籠絡し、絡め捕り、手玉にするための麻薬・毒薬でしかない。その麻薬が如何なる効果を生じ、毒薬が如何なる効き目を発揮するか、ユ〇ヤ人自身は知り過ぎるほど知っている。
知らないのは、学者先生に唆されて、有難がって貪り飲む日本人だけだ。