7/28 なぜ司法改革を中絶させたいか
 なぜ司法制度調査会は弁護士の質が落ちたとかの報告をしたのか。本来であれば司法改革の本筋とは関係ない、単に一利権団体の内輪話なのではないのか。
 そこで国民としては次の疑惑を抱かざるを得ない。
 実は司法改革の真の目的は弁護士の権益拡大と需要の開拓にあったのではないのか、と。「国民の利益」に資するだの何だのの話は正直、ダミー、カモフラージュに過ぎず、例によって国民はお役人様の権益拡大の出汁(ダシ)に使われただけなのではないか、と。
 そうすると調査会が弁護士の質の話をするのは、筋違いでもなく、唐突でも無く、脈絡に叶っていることになる。図らずも、丸山和也弁護士大先生を会長とする自民党司法制度調査会が隠れた目的を自白して下すった。語るに落ちるとは、このことだ。つい真意を口にしてしまったと云う訳だ。せめて「国民の付託に充分に答えるべく」とか何とか、逃げ口上の前振りでもしておけば良かったものを、マトモに取り上げてしまったのである。
 おそらく国民は調査会の答申に代表される司法改革の迷走と支離滅裂振りに、以下の素朴の疑問を抱いたのではないのか。
1.平成14年に合格者数年間3千人程度と定めた理由は何だったのか。
2.平成25年に年間3千人合格を撤回した理由に合理性があるのか。
3.2000人だと質が低くて、1500人だと質が高いとする、その「質」とは一体何か。

 需給原理のイロハに照らせば、需要側の国民とすれば、供給は多い程良い。合格者が2500人でも3000人でも4000人でも、一向差し支えない、どころか多い程望ましいのである。供給が多いほど、供給に対する需要の1単位の価値は高まる。弁護士先生が増えるほど、国民一人一人の弁護士先生に対する価値は高まる。平たく云えば大事に扱われ、より大きな利益を得ることが出来る。
 利益とは具体的にはサービスと価格だ。供給が増えることで、需要に対する競争が供給側に発生する。供給側の競争は、需要者(国民)へのより多いサービスの提供と、価格(弁護士報酬)の低下となる。経済学的には、それは需要側への利益移転として評価される。
 おそらく当初3千人と定めた理由としては、上記の2点が勘案されていたであろう。国民が弁護士から法的サービスを享受出来る機会が増え、バカ高い弁護士報酬からも解放されるであろうとの期待があった筈だ。その期待は決して間違っていない。だから国民とすれば司法改革は中絶させたり流産させたり、尻窄み・腰砕けで終わらせない方が好ましいのではなかろうか。
 云う迄もなく、尻窄み・腰砕けを支持しているのは既存弁護士先生方である。司法改革の中絶・流産で利益を得るのは既存の先生方しかいない。先生方は弁護士報酬を下げるのは言語道断、真っ平だし、若手と競争するなどプライドが許さない。
 既存者にとって退出数を上回る新規参入も面白い筈がない。麻布とか田園調布3丁目とか広尾とか成城とかのセレブ宜しく「どこの馬の骨か分からぬ輩に参入されたら困りますわ、高級感ぶち壊しザマショ。高級住宅地のブランド価値を損なったら大変」と思っておいでだ。
 そこで先生方は排除の論理のアイテムとしてここで「質」を持ち出した。
「質が保証できない、質が担保出来ない、国民に対し品質保証の責任が果たせない。質が低いことで国民が不利益を受けては大変だ。だから参入を3000人の半分の1500人にせよ」と、代表の丸山和也弁護士大先生を突き上げ、責(せ)っ突いた、と想像してみよう。
 すると丸山大先生も弁護士界の大御所を以て自ら任じている手前、無碍に出来ない。弁護士業界から袖にされたら一巻の終わりだ。
 我が輩に任せとけ、乃公出でずんば蒼生を如何せん、勇躍、司法改革の中絶・流産に立ち上がった(と想像してみる)。