7/27 司法改革は成功している
 上記の自民党司法制度調査会の報告に対し、弁護士先生様の少なからざる者が「良識ある見解」とやらのコメントを出しておられる。既存弁護士の概ねは、弁護士の供給数が年に3000人であるより、年に1500人であることに賛成している様子が伺える。
 そこで既存弁護士先生様の次なる本音が見える。
 参議院議員丸山和也大先生は、弁護士という利権団体の代表として選ばれた訳だが、ちゃんと業界の最大公約数的利益を実現することに尽力されている。これで一先ず安心、ヨシヨシ、と。
 弁護士の反応を見て国民も分かったことだろう。弁護士は決して司法改革を望んでいないし、司法改革に本気ではないということを。
 全ては当り前の話である。
 供給を増やせば、供給1単位当りの効用は減少するに決まっている。
 経済学などと構える以前の、世間常識のイロハの話だ。
 需要の過剰が存在しない状態で、供給の総数を2倍にすれば、供給1単位当りで見れば、需要に対して1単位の効用は減少する。弁護士先生の総数を2倍にすれば、国民に対する弁護士先生一人当たりの有難みは減少する。
 男子10人、女子10人の学級で、男子が20人になった場合を想定してみるが良い。女子は俄かに男子からモテモテで、今までお呼びが掛からなかった十人並器量の女子にもお座敷が掛かる率が格段に高まる。男子は男子で、相対的に少ない女子の関心を引こうと勉強に運動にハッスルする(かもしれない)。少なくとも学級という市場での自己の市場価値を高めようとの強力なインセンティブが働く。市場価値を高めないと需要(女子)の要請に応えられず、市場から排除されてしまうからだ。モテない下位十人組に落ちないために、彼は必死で市場性のある上位十人組に入ろうとする。
 何れにしても、新たな需給の均衡点に向かってダイナミズムが作用する。新たなダイナミズムが働くと云う事では別段悪いことではない。それに遅かれ早かれ人は新たな均衡点に殺到せざるを得ない。つまり適応する。 
 供給(モノ)が過剰になれば、需要(カネ・通貨)は価値を高める。我々貧乏人とすれば供給(モノ)が過剰な方が有利なのだ。只でさえ少ない手持ちのカネ・通貨が、価値の下落から逃れるためには、供給(モノ)過剰が前提だ。逆に供給(モノ)が少なくなれば、忽(たちま)ち、手持ちのカネ・通貨では購入するのに足りなくなる。ここで焦って需要側が競争し合ったのでは、供給側に好きな様に鼻面(ヅラ)を引き回され、収奪されて遣られるだけだ。
 供給が倍になったとすれば、供給側の供給(弁護士)1単位の効用は減少する、その分、需要側の需要(国民)1単位の効用は上昇する。供給(弁護士数)を増やすことで、需要側(国民)は間違いなく一定の利益を得ている。
 供給1単位の効用の減少により、需要1単位の効用は拡大した、つまり国民一人一人が供給側(弁護士先生)に対し相対的に価値を高め、供給側から大事にされるようになった。玄関払いされる率も減ったし無料相談会等も増えている。おそらく弁護士先生は以前ほど国民一人一人をバカにしたり邪険に出来なくなっている。自己の効用の減少が自覚されれば、国民に対し、以前程の近寄り難い、高踏的で狷介孤高な態度は取れない。
 同時に供給1単位の効用を高めるべく市場努力を払う様になった。弁護士先生同士の法廷での露骨な談合や馴れ合いの程度が、以前に較べれば格段に減少していると思う。法廷が終わった途端、原被告双方の代理人弁護士が廊下で顔を合せてゲハハハと下卑た笑いを弾かせるなんて光景は、一切消えた。需要に答えるべく市場価値を高める傾向が少しは出てきた。供給側での競争が始まったのだ。以前なら決して耳にすることのなかった同業大先生に対する悪口を仄聞する機会も増えた。
 私が見る限り、司法改革は失敗していない。司法改革の一環としての弁護士合格者3000人増加策も市場の政策判断として正しい。合格者3000人増加を始めとする改革を国民は支持すべきだ。でないと我々国民は法律無知と小馬鹿にされていた昔に逆戻りだ。