7/23 偽善を宣撫
 ともあれ敗戦の時点でプログラムは第5段階に至った。
 アメリカ支配者は、日本の政府・官僚・教育行政・マスコミ、進歩的文化人先生等、日本の国家機関を総動員で終日竟夜(ひねもすよもすがら)一大キャンペーンを展開した。政府も教育もマスコミも、マッカーサーの忠実な子供や尖兵となって先陣を争うように我々国民の宣撫洗脳に邁進した。
「日本は間違い、アメリカは正しい」
 日本的なるものは誤りであり、アメリカ的なるものが正しい。 
 日本的なるものを否定し、アメリカ的なるもので満たせ。
 伝統とは古いが故に間違いであるからして、悉く破壊し蹂躙せよ。
 斯くしてアメリカが望んだ素晴らしい社会が実現した。伝統から断絶した救いのない袋小路の世界である。
 子は親を孝せぬどころか無視し、兄弟は相憎み、夫婦は互いに背信し、朋友は欺罔し合い、子弟は教師を腹の底から侮蔑し、社員は会社を裏切り盗み、政治家は国を他国に売る。信頼は消失し、信頼に基づく奉公・忠義・献身・犠牲・協同の徳目は崩壊した。
 日本人は最早互いを敬愛しない。敬愛の対象とすべき伝統的価値を相互に見出せない。だいいち敬愛という倫理的情感を磨滅喪失している。日本人の日本人たる所以は、尽きる事なき倫理的情感の湧出と、その情感の共有にあったが、その情感の自噴泉が退化して消失しているのである。情の共有を説こうにも情自体が磨滅してしまっている。馬の耳に念仏、糠に釘、暖簾に腕押し。
 伝統から断絶した、その文化的空白・倫理的空白を埋めたのが、アメリカが吹き込んだ、善モドキ、善の贋作、善に似て非なるもの、即ち偽善だ。偽(ぎ)の国が信奉する偽(ぎ)の教えを、日本に布教したのである。
 成る程、偽(ぎ)の国では偽が倫理であり徳目だ。偽(ぎ)の国の人々は実にさり気なく、ほぼ無意識レベルで偽を演ずる。偽善を取り繕うにせよ、不自然さが無く、サマ様になっているのである。
 偽の国にあって、善とは演出・演技を以て、その実在が支えられるものである。なぜなら偽の国では善は神にしか存在しないから。人は善でもなく、人の心も善ではない。善は神にしかなく、従って人は神に向かって只管、善を渇望する存在である。他者との関係では、人は神の善への渇望を不断に演ずることでしか、自己と善なる神との関係を証明できないのである。だから演技が板についている。
 他方、太古から戦前まで、我が国では善はアプリオリな存在であった。人間存在そのものが善であった。善は日本中に横溢していた。善は自明の、疑うべくもない実体として、魂の実体と繋がるものとして存在していた。信じるとか観念するとかの以前の実在であった。
 ところが敗戦で文化的空白が生じた。そこに予(かね)てからの計画とおり間髪入れずアメリカが付け込んだ。本来、軍事占領の権限しかないのだが、最初から軍事占領は便宜に過ぎぬ。文化占領を行い文化支配と洗脳教育による植民地化が本音の目的である。でなけりゃ7年半も占領しないだろう。普通、軍事占領と云えば短くて半年、平均で1・2年、長くてもせいぜい3年か。連合国によりドイツが4年間占領されたのが例外とされているが、今でも不当に長過ぎて東西の分断を招いたと非難されている。上記国際慣行に照らす時、7年半という不自然に長い占領期間の設定は、当初より文化植民地化と洗脳を目的としてされたことが知れよう。
 アメリカはアメリカ製ムービー(映画)・ラジオ放送・英語教材・英語パンフから、ガムや板チョコに至るまで周到に準備したプロパガンダアイテムを悉く無償で日本に提供した。コマーシャル品・宣伝宣撫品だから当り前だ。
 宣撫工作は占領解除後も続いてテレビが登場してからは満を持してアメリカ製偽善イデオロギーてんこ盛りのホームドラマが大量供給された。勿論、無償である。テレビ創成期の番組制作者、つまりN〇Kしかなかったが、その唯一の制作者は一も二もなく飛び付いた。だから今でもアメリカ製プロパガンダ映像を提供されると目の色変えて飛び付いて、悦び勇んで放映する。