7/13 裁判官の罪作り
 大衆は救い難いほど蒙昧暗愚、無知迷妄であり、その救済のために裁判官は不可欠である、との信念を日本の裁判官様はお持ちだ。裁判官様が、慈愛に満ちた救済者、迷いを超えた覚醒者である為には、大衆はアホであらねばならない。アホ以外の何者であってはならないのだ。
 それにしても日本の裁判官は罪作りだ。
 人をして人たらしめる自由意志の存在を否定したことが、どれだけ罪深いことか、毫末もご自覚が無い。
 成る程、サラ金で借りるのはカッコ悪い、会社の同僚や高校の同級生に見つからないか、ビクビクしながらサラ金の看板の下を潜る。胸を張って自信満々でサラ金から借りる人はいない。
 しかしだからと言って、お前の自由意志でしたことではないと言われたら、人としてのもっと根源的な誇りというか、実存としてのあり方そのものを否定されたことになりはしまいか。
「確かに俺はあの時サラ金で借りた。決して褒められたことではないだろう、それは分かる。だがサラ金で借りたのは紛れもなく俺自身であり、俺の意思だった。俺は裁判官ほど法律に習熟知悉していないかもしれない、しかしサラ金が高利貸したることは十二分に承知している。子供じゃあるまいし、大の男が高利覚悟で借りたことだ。それを裁判官様は、俺が字も読めない無知で意志曖昧な贅六野郎だと決め付けた。いくら裁判官様でも人の心や意思の中身まで読めまいに。いやはや日本の裁判官様は何処まで偉いんだか。」
 裁判所も悪い智恵を国民に付けたものだ。少しばかしアホの振りをすれば、サラ金に払った利息が幾らか戻ると浅知恵を教えたのである。
 そりゃ、その日暮らしの我々大衆は裁判所から、少しばかしアホの振りをすれば利息が戻ると知恵付けられれば「アッシはアホでした。法律に無知でした。利息制限法なんて生れてこの方聞いたこともござんせんでした」と洟(はな)か涎(よだれ)でも垂らして、せいぜいお人好しのアホを演ずるだろうよ。弁護士だって過払金と云うキャッシュが目の前にブラ下がっているから目を血走らせて「遣れ!遣れ!」って煽動説得するんであって、誰が酔狂で他人の借金の面倒なんか見るかってんだ。
 裁判官様は借手が制限法を越える金利を払ったのは借手の「任意」じゃないと断定なさった。「任意」、即ち換言すれば「勝手に」払ったんでないし「好きで」払ったんでないし「自由意志」で払ったんでもないと判示遊ばされた。大の大人が納得付くでしたことを本人の意思じゃないと認定なさったのだ。
 これがどれだけ人間の尊厳を傷つけることになるか。どれほど人としての誇りを侮辱するものであるか、ついぞ裁判官様は知ることが無い。
 なぜなら日本の裁判官様は大衆をして救い難い愚昧無知の輩と規定することでしか、救済者としての自己を意味づけられないから。大衆がアホでなくなったら、アホに対する賢者としての自己の居場所を喪失してしまうのだ。裁判官様の前にあって日本の大衆は永遠に魯鈍蒙昧であらねばならないのである。