7/12 裁判所は自由意志を認めない
 需要がないのに供給を3倍増させても需要は増えない。
 この陳腐な教訓を得て一件落着となれば良かった。
 しかしそれではお役人様の面子が立たない。
 果たして平成18年に、腰を抜かすような最高裁判決が出た。
「利息制限法所定の制限を超える金銭消費貸借取引において,期限の利益喪失特約がある場合は,債務者において,債務者において約定の元本と共に上記制限を超える約定利息を支払わない限り期限の利益を喪失するとの誤解が生じなかったといえるような特段の事情のない限り,制限超過部分の支払は,貸金業法43条1項の任意性がない」との最高裁判決がそれだ。
 所謂「みなし弁済規定の適用」否定の判決だ。俗に裁判所による「任意性の否定」とか言われる。
 みなし弁済とは借手が利息制限法の上限金利を越えて貸金業者に「任意」に利息を払っても利息の弁済として有効という貸金業法上の定めのことだ。例えば制限法で20%のところ金融会社との約定で25%分の利息を払った場合、その差額の5%は、元金に充当しないで金融会社の儲けにして良いという貸金業法の定めである。
 日常用語で云う「任意」とは「好きで」「勝手に」「気儘に」「自由に」、と云った意味だ。決して否定的なニュアンスの用語ではない。むしろ人間の自由意思の存在を前提にしている。ズバリ「積極的な自由意思」で置き換えても良い位だ。
「俺は大至急30万必要なのだ。だから「任意」で、つまり俺の「自由意思」でサラ金から借りる。確かにサラ金(消費者金融と言わないと実は怒られる)の金利は高い。それは分かり切っている(だからサラ金と呼ぶのだ)。わざわざアンタに言われなくて良い。大きなお世話だ」と云うのが偽らざる実態であった。
「属性が低くて銀行では貸して貰えない。だからサラ金から「任意」で、つまり俺の「好きで」借りる。サラ金の金利が高いのは百も承知だ」
「50万借りるのに平日の昼間に銀行で手続なんかしていられるか。書類は多いわ時間は喰うわで、やっとれん。サラ金でチャチャっと借りようと俺の「任意」、つまり俺の「勝手」だ。金利が高くても早くて便利が一番。了解の上。」
「高利貸しは止めろだって? だったらアンタが無利子で貸して呉れんのか。お為ごかしコクんじゃねぇ。ここで借りられなきゃ、俺は飛んじまうんだ。ちっとばかり金利が高いのどうの言ってられるか。いいじゃねぇか俺の「任意」で、つまり「承知して進んで」借りるんだから」
 つまり人はサラ金の金利を承知して「任意」で、つまり「自分の意思」で、若しくは「積極的な自由意志」でお金を借りて、返済していたのである。でなきゃ、わざわざサラ金会社のドアを開けて中に入らないだろう。パチンコ屋や飲み屋に入るのとは違うんだから。
 それを裁判官は借手は「自由意思」ないし「自由意志」じゃなかったと否定したのである。
 裁判官が言わんとしているのは以下だ。
「日本の大衆は暗愚蒙昧にして、ろくに自由意志など持たない連中だ。きっと利息制限法なんて法律があること自体知らないに違いない。愚民共は利息の意味も知らないし、利息の計算方法も知らないアホに決まっている。
 アホは法律を知らず、従って法律に基づく自由意思など持てっこ無い。アホはそのアホ故に、そもそも自由意思とは無縁の存在だ。
 アホがやらかした法律行為は無効にしてやるのが親心というもの。」
 上記は決して誇張でも歪曲でもない。
 判決を下された名裁判官様が停年後にあっちこっちで自画自賛気味に触れ回っているお言葉だ。「任意性」の厳格解釈とか能書き垂れてあそばされているが、要するに人間の自由意思の否定、まさに人間存在の「任意性」の否定なのだ。