3/24 インフレに「緩(ゆる)やか」はなし
 経済学者だか経済評論家だか経済コメンテーターだか知らんが、いい年コイタ親爺共が雁首揃えて「緩やかなインフレ」とかテレビで口上を垂れて遊ばされる。
 どうやら「緩やか」と口にすると、ご自分も「緩やか」な人柄とイメージして貰えると期待している様だ。御自身が、茶の間の視聴者から「緩やか」「温厚」「ソフト」「穏やか」「中庸」「リベラル」って感じで受け取って貰えれば、テレビ受けしてお次のお座敷の声も掛かろうというもの。その媚びるようなニタ付いた視線から、計算した下心を伺うことが出来る。親爺が媚びても可愛くないが。
 処で「緩やかなインフレ」と云うのは、それ自体に語義矛盾を含んでいる。「緩やか」と「インフレ」とは相反する概念要素を含んでいる。
 そもそも「緩やか」とは具体的には数字でいくつを言うのか。
 ズバリ1%以下だ。1%を超えたら「緩やか」とは言わない。
 2%のインフレが「緩やか」と思ったら大間違いだ。おそらく件(くだん)の「緩やか」論者の先生、2%も「緩やか」に入るだろう位にお考えの様だが、思考が杜撰に過ぎる。2%を「緩やか」と呼ぶのは火遊び以上に危険だ。
 2%のインフレの数字の意味だが、当たり前だが「各前年の物価に較べ」2%の「定率」で上昇と云う意味である。インフレの定義たる「持続的な物価上昇」の趣旨に従えば斯く成るし、現実もその動きになる。
 定額と誤解してはならない。定額とは、例えば平成1年を基準年と定め、基準年を100として、100に対し毎年各2づつ、翌年は102、翌々年は104と云う話である。額としては同じでも、率としては逓減・漸減することになる。上昇曲線は右斜め上への直線でなく、その直線を最初から下回り、次第に乖離する逓減曲線を描くことになる。これだとインフレ「率」2%にはならない。
 何が言いたいかと言えば「2%のインフレ」とは、2%の「複利計算」になるということだ。「持続的」に2%の「定率」で各年が各前年の物価に較べ上昇する訳であるから複利の計算になる。単利では無い。「10年間2%が続いたとしても10年後の20%上昇で終いだ」などと思ったらトンデモナイ勘違いだ。そんな甘い話ではない。大火傷する。
 猿でも出来る簡単な算数として、2%複利だと単純に31年とか32年で倍になる。因みに3%のインフレ、即ち3%複利だと22年とか23年で倍になる。
 10年近くも物価の持続的な下落という経済環境に我々は在った。10年近くも物価は下がり続け、スーパーや外食店やコンビニは安売り競争を続けながら品質で鎬を削った。牛丼屋はむしろ品質を高めながら値下げ競争に走り、高品質のワンコイン(500円)のランチが和・洋・中の各分野で栄えている。
 500円でマトモな昼飯に有り付けるなど夢の様だ。私事ながら私は昭和53年から昭和62年まで板橋区で会社勤めをしていたのだが、当時の昼飯代が600円だったのを明確に覚えている。勿論、ペーペーの平社員の安月給から割り出した最低クラスの昼食だ。大概ベタベタのチキンライスとか一皿ものだ。想い出したくもない味だし、腹も一杯にならなかった。今は500円で何と定食が喰えるのだ。おかずが3皿とか、香の物まで入れると4皿だ。刺身まで付いている。信じられない。夢なら醒めないでくれ。
 此れだけ品質の高い外食産業が和食・洋食・中華・イタリアン・インド等を問わず全ての分野で「低価格」を競っているということは、此処は天国じゃアンマイカ。
 此処10年来の安定した物価安の中で、豊富で多彩な消費の楽しみを知った我々日本の庶民大衆が、20年とか30年で物価が倍になる経済環境に果たして耐えられるものだろうか。
 物価が2倍になるという事は、裏返せば所得が半分になると言い換える事が出来る。特に低所得者層にこの理屈が丸々当て嵌まる。我々がいくら貧乏とは言え、20年とか30年で収入が半分になる生活経済環境に果たして耐えられるかと云う事である。
 おそらく無理だ。私がいくら貧乏でも、否、貧乏だからだこそ今以下に生活レベルは落とせない。