3/17 貨幣国定学説による瓦通貨
 荻原重秀勘定奉行のスタッフに堂島の相場師でも混じっていたら意外に面白かったのではないか。例えば幕府が中央金座銀座を作って、そこにかなりの量の金銀を保管しておいて、一定比率の兌換紙幣・兌換銅貨を発行するなどと云う手も考えたろう。寛文元年(1661年)に越前福井藩が藩札第一号たる銀札なるものを発行しているから、おそらく荻原重秀もその手は考えたのではないか。
 しかし、この「かなりの量の金銀の保管」と言うのが現実には難しい。金銀が有るなら、貯めずに民に放出しろと云うのが日本固有の伝統倫理だからだ。金銀を溜め込むなど、金銀に執着するようで、およそ武士たる者には似合わない。北〇鮮に國と魂を売った金丸大先生じゃあるまいし。
 通貨を改鋳して含有する金銀比率を半分にすることで、流通する数量を倍にするというのは金融政策としては案外にいい線を行っているのだ。ただ今から想うに、既に市中に流通している小判を幕府の威光で掻き集めて、再び鋳造し直すというのは、かなりの力業(ちからわざ)だったのではなかろうか。お上は天下のご政道を無私の心で諮っているのだと云う信頼があったから、商人・庶民は能く従ったのだろう。各自が自我の利益に汲々たる現代なら國は訴えられかねない。
 ここで一般の人は不思議に思うだろうが、本位貨幣制度と貨幣国定学説では論理矛盾が有るのではないかと言うことだ。
 一見すると江戸時代は本位貨幣制度であった様に見える。本位貨幣制度とは簡単に言えば金銀の実物貨幣を流通貨幣とする制度のことである。実物貨幣は一定量の金銀を有して、原則としてその一定量を表記するので、標記額面と実質価値とは差が無い貨幣となる。外国で発行する小洒落たデザインの金貨とか云う奴が其れだ。貧乏で買ったことないけど。円高で金価格が下落したタイミングで買っときゃ良かったと皆さん後悔したりしている。金価格高騰の今なら3倍で売れるのに。カカアに結婚記念日でプレゼントしたカナダ金貨を換金処分して子供の学費に充てようか。
 一方、貨幣国定学説とは、通貨は国が好き勝手に決められると云う説である。金銀どころか「瓦礫を以ってこれに代える」事が出来ると云う説である。欠けた瓦を以て「此れが拾両だ」と国が言えば、それが拾両になると云う考えである。但し中央政府に信用があることが条件である。因みに幕府は中央政府ではない。諸藩の連合体の総領の地位になる。だって征夷大将軍、つまり武家総代だもの。
 仮に幕府を中央政府に準ずるものと仮構したとして貨幣国定学説に立てば、幕府に信用がありさえすれば、幕府が発行する通貨は通貨保証されることが期待出来る。何もその通貨がそれ自体に価値がある金銀である必要性はない。
 でも流石に欠け瓦は発行しなかった。お上のご威光に係わりますもんね。