2/16 「国の借金」の名コピー
 私の記憶だと4年位前からではなかろうか。財務省が、財務省が陰で言うところの「マスゴミ共」を糾合して、頻りに「国の借金」と喧伝・宣布・触散らす戦略に出たのは。増税の布石たるは見え見えだった。
 「國の借金」は蓋し名コピーなるべし。何となれば日本人の思考と心情の盲点を無意識に突いているから。日本人にしか有り得ない錯覚に、巧まずして誘導する事に成功している。流石、財務省、秀逸也、言語魔術。お役人様方、やはり賢い。
 このキャッチフレーズだかコピーだかを与えられて欣喜雀躍・狂喜乱舞したのが、財務省御用達の経済学者や経済評論家・論説委員といった面々だ。これなら日本の「国民」は反論出来まい。錦の御旗・大義名分・お墨付きを財務省から賜った。此れを掲げた日には純情無垢な我が国の愚民共は、ご尤もとばかり平伏するより他あるまい。
 経済学者、経済評論家・経済記者、彼ら御用達商人は、ここぞとばかり財務省への忠義争いに耽った。何とか委員会やら,テレビ・新聞・雑誌に盛んに登場しては、眉間に皺など寄せて「國の借金が」「國の借金が」と宣(のたま)ふ。恰(あたか)も國の行き先を憂いているかの如く風を装い、俄か憂国の士が粗製濫造・安直輩出した。
 巷でも床屋政談家の松五郎や居酒屋政談家の熊三郎が、然(さ)も、したり顔に二言目には「國の借金が」と講釈垂れた。「國の借金が」と口にしただけで、何か一端(いっぱし)の経済通であるかの如く振る舞えた。天下国家の行く末を案ずる高邁な良識人であるかの如く自身で酔えた。
 講釈と云ったが、実は講釈まで行かない、ただ「國の借金が」と念仏を唱えただけだ。理論も何もない。財務省お墨付きの霊験新たな念仏。