6/30 新聞記事の再検証
 折角だから、当時の新聞記事を詳しく再検証しよう。
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(庄内新報(号外)大正12年9月3日)
「不逞鮮人益々拡大
 王子横濱方面において軍隊と衝突
不逞鮮人及び主義者の一派は其の後猖獗を極め、3日午前11時300余人手に手に爆弾を携え之を投じ或は放火し近衛師団の3個中隊と王子付近に衝突乱闘の結果30余名捕はる尚同日午前4時400名の同鮮人爆弾を持ちて横濱方面より襲来討伐の一個中隊は少数の為に全滅の怖れあり、3連隊の2個中隊急遽自動車に分乗して応援に向ふ尚越後高田13師団にも出動命令下り直々東京に急派
陸続として避難し来れる者の談に拠れば同暴徒の一隊が爆弾を投じ放火せるを目撃せりと」
 庄内新報とは、山形県庄内地方に於いて鶴岡、田川地区を基盤とした新聞社で、戦前から戦中にかけて存在した。
 まず、この号外記事を、デマと見るか事実と見るか。
 95%事実であろう。
 残り5%が事実と言い切れないのは、例えば300名とか400名とか言う数字がそもそも正確な算出不能という現状に基づくことによる。その程度の誤差は認めるとの趣旨である。
 処で「主義者」とは大正時代の社会主義者のこと。現在の穏健な社会主義者とは、イメージが違う。むしろ暴力革命共産主義者に近いか。
 中隊とはどの程度の規模か。1個中隊は100~230人で構成され、平均は150人という。×3だから、300~690人と言う事になる。
 三連隊とは歩兵第3連隊のことかと思われる(但し確証なし)。東京の歩兵第3連隊から2個中隊が「応援に向」った訳だ。
 越後高田13師団とは、新潟県の越後高田だ。
 なお師団とは「6千人から2万人程度の兵員規模の作戦基本部隊」とある。
 号外記事の内容は以下だ。
 1.2.3は王子の事件。4.5.6は横濱の事件だ。
1.9月3日午前11時、王子付近で、不逞鮮人等300余名と、近衛師団(推定)450名が「衝突乱闘」した。
2.不逞鮮人等は「手に手に爆弾を携え」「之を投じ或は放火」
3.不逞鮮人等30余名を捕える。
4.3日午前4時、400名の鮮人が、「爆弾を持ちて」、横濱方面より襲来。
5.討伐の1個中隊は、「全滅の怖れあり」
6.歩兵第3連隊の「2個中隊」が、急遽自動車に分乗して応援に向かふ。
7.「越後高田13師団にも出動命令下り直々東京に急派」
 王子付近の事件は不逞鮮人等30余名を捕えるで一旦終結であろうが、横濱の事件は結末が不明だ。推測するに結末が哀れ過ぎて書けなかったのか。つまり1個中隊は、朝鮮人400名に全滅させられ、2個中隊が応援に駆け付けた時には、既に朝鮮人は逃げていた。