3/16 役人も国家に対し全人格的にコミットメント
 現代でも例えば、役人を漏れなく、国家に対し、全人格的にコミットメントさせようとするなら、前提として日本的自然法に基づき、国家観を、有機的に統合化しておく必要がある。国家全体が有機的な統合体として認識されないと、役人の全人格的なコミットメントのインセンティブが生まれない。
 役人をして国家を有機的な統合体として認識させる遣り方としては、明治政府の方法論を倣うのが無難だ。つまり天地(あめつち)の宗主宗源として天皇を頂いた上で、国家全体を宗主を頂点とした統合体として仮構するのである。
 天地(あめつち)としての国家と、天地(あめつち)たる国家から無限の恵を受ける官僚としての自己と云う関係がまず認識される。次に天地の宗主としての天皇と、宗主に帰依する自己と云う関係に、心的に秩序付けられる。
 天地(あめつち)である国家より無償の恩の施しを受ける自己(役人)は、まず、その施恩が、山よりも高く海よりも深いことを、感謝する。
 深く感謝する程に、その恩の万分の一にても報いるべく、宗主としての天皇に、全身全霊を尽くして報恩を捧げねばならないと自覚するよう誘導する。
 役人は私心を捨て去って、恩の施主である天皇への忠勤を誓い、且つ全てを捧げて報恩に邁進する。ここに役人の国家に対する全人格的なコミットメントが可能になる。
 日本的自然法による、天地(あめつち)の擬制としての国家観の中で、役人は誠実を誓う行為規範の対象としての天皇を見出す。
 正直を誓う倫理規範の対象としての、宗主としての天皇の君臨に出会う。
 この時、役人は役人特有の邪(よこしま)な心から放たれ救済される。民間より多く俸給を貰おうとか、各種の手当をお手盛りしようとか、空(カラ)交通費や空出張費を貰おうとか、天下り先たる特殊権益法人を粗製濫造しようとか、退職金と恩給の二重取りをしようとか、特殊法人を渡る度に退職金を貰おうとかの邪心だ。
 国民に対し奉仕しろ、などと叫んでも馬耳東風、端ッから役人の耳には聞こえません。なぜって国民を天地のイメージで捉えることができないから。国民から納税という無償の恩を施されているなどとは、毫末も思う訳ないから。
 日本的自然法による、天地(あめつち)の擬制としての国家観を植え付け、天地(あめつち)の宗源としての天皇に忠誠を誓わせないと、官僚・役人は永久に国民のことを、搾り取り巻き上げる対象としてしか認識しない。
 なまじ心にも無いことを求めるから、虚偽の演技となり、背任だの横領だの収賄だのに結び付いてしまう。
 日本の役人をフル機能させるには、天皇への赤誠と報恩を自覚させることだ。
 そうなれば、少なくとも、天皇の前では、収賄も横領も空出張も手当のお手盛りも、恥ずかしくて出来なくなる。