12/25 「自由化」「協定」の語義矛盾

「自由」貿易「協定」とかコイテルらしいが、「自由」な「協定」って語義矛盾だろう。これだけで充分胡散臭い。
貿易なら、その本質に於いて本来自由な筈だ。
貿易立国を自国で標榜するだけで充分だ。
「自由」を「協定」するってことは、逆に協定外を排除するということだ。要するに実態は排除協定だ。協定の内と外で互いに排除し合う訳だから、ヤヤコシイこと夥しい。
日本の産業が日々研鑽錬磨を怠らず、円が信頼されて強ければ、それで充分だ。円が強ければ、安く輸入できるし、仮に名目賃金が変わらなくても、物価が下落すれば賃金の実質は上がっている。
ところが、これが「協定」した国間内で人の行き来が「自由化」されたら、どうなるか。行き着くところ賃金の「自由化」になる。例えばフィリピン人が日本に自由に行き来出来て、日本人とフィリピン人の賃金が「自由化」されたら、どうなるか。為替の複雑な成り行きは到底読み切れるものではないが、平準化現象で実質賃金は間違いなく減少する。

米価格が安くなると喜んでいる向きも有るようだが、安くなった米を買える賃金の実質価値が下がったら意味ないだろう。
そもそも米価は強力な政策に基づいて意図的に高値に維持されてきたものだ。その政策とは、農林水産省の役人の仕事を無理矢理作るためと、農協の利権と、票を欲しがる政治家の利権のためだ。
米を作れば役所から補助金を貰えて高く買い取って貰えるし、減反に協力して米を作らなくても補助金が貰えるなら、本業を持った兼業農家も儲けられる範囲で農家をやめない。減反命令と、補助金拠出と高価買取を、行き当たりばったりで繰り返す農林水産省の官僚の頭は、その錯乱と無秩序に於いて、ほとんど精神分裂病ではないかと思われる(今は統合失調症とか訳の分からん用語になっているようだが)。
農林水産省の規制と干渉を無くせば、自然に自由競争と市場原理が働き、農地の集約集積等を経て、より品質の良い米が、より合理的に作られる。農地の大規模集約が図られ、より少数の専業農家で、より大規模且つ合理的に米を作ることが出来る。減反なんて言う、狂った自滅行為ともオサラバだ。米価が2分の1、3分の1になれば国際的な価格競争力も付いてくる。地上から農林水産省さえ無くなれば、市場で、より品質のいい米をより安く買えるようになるのは子供でも分かることだ。
やることが全く狂ってる。
何故狂うかというと、市場の要請に基づいているのではなく、官僚の利権で動かされているからだ。
特定の国と「協定」して「自由化」を図っても何の意味もない。
協定の策定やら施行に伴う役所の機関や部局が増設され、関係する役人が高額な報酬と共に増員されて、要するに役人の数と役人の報酬が増えるだけだ。
通産省(今は経済産業省とか云うらしい))やら農林水産省やらの官僚の言いなりになって情報操作に屈するマスコミも情けないが・・・。