12/14  石原先生を弁護する
土曜日に東京に出かけたら、新宿駅の前で惨狂党の都知事候補者だか候補の推薦者だかの女性が、マイクのボリュームを一杯にして、ガナリ立てていた。石原都政を批判するとか称しているが、要するに何年か前の石原氏の非公式発言の揚げ足取りだ。「・・・ニートだとか、引きこもりだとか云うが、・・・ボクに言わせりゃ・・穀潰しだ」との石原氏の発言を引っ張りだしてきて「こういう人が若者を殺すんです」とか「戦場に駆り立てるんです」みたいなことを叫んでいる。
エライ論理の飛躍と云うより、論理の筋になっていない。石原氏は、ニートを殺せだの、戦場に送れだのは言っていないだろう。
「殺せ」だの「戦場に送れだの」叫んでいるのは当の惨狂党の方々ではないのか。歴史上何千万人だか、何億人だか知らないが、只管内ゲバと粛清を繰り返し、人民の殺戮を続けてきたのは他ならぬ惨狂党だ。自分で「殺したい」とか「戦場に送りたい」とか願望があるから、願望の方向に話を作るのではないのか。

語るに落ちるとはこのことだ。
石原氏には文学者としての発言と、政治家としての発言と、行政首長としての発言がある。我々大衆としては、只の政治家では言えない、文学者の政治発言や、文学者の行政長発言を聞くのが新鮮だし、楽しみでもある。並の政治家では言えない、大衆の本音を、代わってチョロッチョロッと口にして貰えることで、我々大衆は結構ストレス解消になっている。よくぞ言って下すったと我々大衆は内心拍手喝采している。現に惨狂党のオバサンも、石原氏の発言を、少なくともインパクトのあるもの、と受け取ったからこそ、俎上に上げたのであろう。
石原氏の小説は、あれでなかなか如才ないところがあるから、読者サービスの一環で、良心家ぶりたいオバサンや、偽善家の文化人先生に、ご親切にも、食いつき易い餌を投げてやっているのではなかろうか。いかにも夕日新聞好みの偽良心家がパクッと食い付きそうな発言を、時々計算したかのように投げてみせる。食い付いた奴らの顔付きと云ったら、揃いも揃って性格悪そうだ。
そもそも「穀潰し」はマイクでガナリ立てる程の問題発言なのか。
「穀潰し」は江戸時代以前からある言葉だ。家の跡を継げない次男三男で、養子先も婿入り先も無くて、本家の離れかなんぞで寄食していれば、自他共に認める「穀潰し」であったろう。
私ですら学生時代は「穀潰し」の自意識はあった。
現代でも、稼ぎの良い奥さんは、失業した亭主に向かって「この穀潰し」とか平気で云うんじゃないのか。あの惨狂党のオバサンも、家では、自分より党での序列の低い夫に向かって叫んでいるんじゃなかろうか。
「私が党務で疲れて帰って来たのに、未だ夕御飯の支度もしてないの。この穀潰し!!」とか。流石にマイクは使わないでしょうが。