プールからあがり、しばしサウナ室で暖を採っていた。

数分して、サウナ室の扉が開いた。

可愛い声が聞こえてきた。

 

スイミング教室の男の子たちだった。

4~5歳くらいかな?

彼らは4人で仲良く、にこにこしながらお行儀よく並んで座った。

 

「あったかいねぇ」

「あったかいねぇ」

「意外とあったかいねぇ」

 

可愛いなぁと思う(「意外と」は必要なのか?と思うとますます微笑ましい)。

 

甥っ子が生まれてからというもの、

子供に対して全く興味がなかった(むしろ嫌いだった)私にも、

小さい子供を見て可愛いと思う感情が芽生えていた。

人間の出来損ないみたいな自分にも、母性本能らしきものがあったんだなぁ・・・と

甥っ子たちは教えてくれた。

 

と、同時に、この男の子たちの年ごろには、もう場面緘黙症だった私には、

この子たちのような経験はできなかったなぁ・・・と、寂しい気持ちにもなった。

習い事どころか、学校の友達が怖くて喋れなくて、

ひとりぼっちで過ごす日曜日が大半だった。

こんな風にお友達と何気ないお話しをして、一緒にいろんな体験をして、

人は、自分を拒絶ではなく肯定してもらえることを知り、社会に居場所を見つけ、

コミュニケーション能力を培っていくんだなぁ・・・としみじみ思った。

 

 

甥っ子のことを思い出したついでに、私はひとつの疑問も思い出していた。

なぜ私は、

甥っ子に好かれたい、甥っ子を愛したい、甥っ子にプレゼントを買ってあげたい・・・

と思うんだろう?一生懸命努力するんだろう?

だって私は人の愛し方がわからない欠陥人間なのに。

血がつながってるから?

いや、そうじゃない。

私は母方の伯母を思い出していた。

無口で覇気がなくてちっともかわいくなかった私を、

好きになってくれて、愛してくれて、プレゼントやおこずかいもくれたのが伯母だった。

機能不全家庭に育ち、親から愛されてないから家庭が持てない、人が愛せない。

習ってないから。

では甥っ子に対する私の行動は?

・・・私は伯母の行動をお手本にしているのだった。

幼い頃から、私に愛情を傾けてくれた伯母の行動が、

甥っ子にたいする、ひいては伯母たるものの行動なのだと刷り込まれていたのだった。

私はサウナ室で暖を採りながら泣いた。

涙が止まらない。

だって愛は遺伝していたから。

 

両親からアダルトチルドレンの負の連鎖、

いわゆる負の遺産を受け継ぎ、今もなお生きづらい人生を歩んでいる私だが、

伯母からは愛を、言うなればプラスの遺産を受け継がせてもらえたことに、

遅ればせながら深く感謝した。

苦しくてつらい子供時代を過ごしてそのまま大人になってしまった私に、

伯母が、愛とか良心とか、甥と伯母の温かみのある関係を教えてくれたおかげで、

少しだけまっとうな人間になれたのかもしれない。

 

 

目に見えないから空気みたいだったり、

当たり前すぎで気づかなかったりするけど

愛は伝染するんだよ。

愛は知らず知らずのうちに遺伝してるんだ。

私の心に、脳に、体に、伯母の愛が染みついてるんだよ。

 

年老いた伯母。

いつかは終わってしまう伯母との時間。

こんなに手放しで愛してくれた人は他にいない。

私は伯母と旅行に行きたいと思った。

いっぱい"伯母孝行"しないといけない。

(厳密には父方の祖母も愛してくれたが・・・我ながら本当にひどい孫だと思うが、

どういう訳か私は祖母が苦手だった)。

 

 

可愛い男の子たちがひよこの隊列のように、

きゃっきゃとサウナ室から出て行った。

きっとお迎えのお父さん、お母さんがプールの外で待ってるんだろうな。

さぁ。

私はあと30分泳ごう。

クロールしかできないのだけど。

水の中はやわらかいブルーの世界、そして静寂。

リラックスできて心地がいいや。

 

-------------------------------------------------------------

プールがいいなぁと思うこと"その①"は、水の中なら話さなくてもいいこと。

そして私はサウナ室で、"その②"を見つけた。

それは、泣いてもばれないこと。

たっぷりとプールの水を含んだキャップをかぶっているから、

流れているのがプールの水なのか、涙なのかは

はたから見ると判別できない。

目をぬぐっていても不自然じゃない。