はなの日常と音楽日記♪

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久しぶりの投稿になります。
ボルダリング始めました。   


去年大変辛い別れがありました。 
5年間続いていた人と別れました。  
息子も含めて3人で一緒に住む約束をして、家の完成まであと2ヶ月だったのに突然彼と音信不通になりました。


家の話が進むうちに意見が合わなくなり、拘りの強い彼は全く折れてくれませんでした。

悪い事は全て私のせい。
自分は好きにやりたい。   

とうとうついて行けなくなりました。


そして音信不通。 
その後家は完成し、一月経った頃
ある車が停まっていると友人から教えてもらいました。

私が付き合っていた5年間のうち、途中で浮気していた女性の車でした。



修羅場をやりました。
あまり覚えていませんが💧 
玄関から入った私は出て来た彼に対して
確か平手から始まって途中拳で殴り出して相手の眼鏡は外れ、座り込んだ所に胸ぐらを掴もうとしたらタンクトップを着ていたので、前髪を掴み頭を揺さぶりました。 



玄関を開け放したままで大声で怒鳴り付けて罵倒しました。     

その間相手は全くの無抵抗でした。
そして彼女は顔面蒼白。   
彼女は私の存在をぜんぜん知らなかったらしく、以前の浮気して私の元に戻って来た時の話をしたら顔色が変わっていました。



それでも今その二人はチャッカリ付き合っていて、そのうちに結婚するつもりのようです。

ちなみに元彼、その彼女、私は、以前同じ会社に勤めていました。 



私と付き合っていた時
彼は面倒な事はしたくないから、結婚しない主義だと言い張っていました。でもその彼女にはなかなか別れられない結婚してくれない彼氏がいたので、
「結婚しよう」と言ったらしいです。


私その彼と一緒にいた時ずっと不安でした。
いつも
「先の事はわからない。」
「年よりは嫌いだ。」
と言っていました。


私は16歳も年上だったので
その言葉に不安になり、鏡を見るとため息が出ました。
いつかきっと捨てられると不安で不安でしょうがなかった。





それでも一緒にいた5年間はたくさん支えてくれていたので、突然の彼女の出現に元に戻りたいとは思っていませんでしたが、負けた感でショックが酷く
食事は全くとれない、ぜんぜん眠れない日々になり体重が4kg 減りました。
それでも仕事には行ってましたが、そんな日々は続くわけもなく、息子が仕事で夜遅い日は何も手につかなくなってしまいました。
そして心身共に限界になりました。


今元気でいるのは息子と何十年かぶりに会った幼なじみのおかげです。





二人からもっと自分を大切にするよに
うに言われました。



職場の先輩からも今まで我慢ばかりしていたんじゃないかと指摘され
今までの49年間を振り返ってみました。




私これからもっと自分を大切にしよう。
自分が自分を大切にしなければ、誰も大切にしてくれない。
元彼と別れてもう年齢を気にしなくても良くなって楽になりました( ;∀;)


子供の頃足が弱かったので
「お前に運動は無理だ。できるわけない。」
そう言われて何でも諦めてきていました。



でも年齢的に折り返し地点過ぎてるんだし、もう前の彼氏からは自由になった。 
休日も好きに行動して良いんだ。 
今のうちにやりたい事やろう!
そう思いました。
 



子供の頃木登りや庭の大きな石に登るのが楽しかった。
ボルダリングを初めて見た時にやってみたくてワクワクした(´✪ω✪`)キラーン



前隣に住んでいたフロリダ出身の宣教師のお母さんは50代でサーフィンをされている人だと聞いてましたΣ(゚∀゚ノ)ノ 
すごくステキだと刺激を受けました。





ボルダリングはどこまで出来るかわからないけど、やれる所までやってみたいです(๑•̀ㅂ•́)و✧

登れた時の達成感がすごくてめちゃくちゃ楽しかったです。
今は凄まじい筋肉痛だけど💧(笑)



これからまだまだいろんな事に挑戦して楽しんでいきたいです(´•᎑•`)
頑張るぞ( ´∀`)














5月27日は娘の結婚式でした。
私は何もしてあげられない母親ですが、アクセサリー作りが趣味なので
将来娘が結婚する時はネックレスを作ってあげたいと思い作らせてもらいました。
本当は作ってない材料だけのキットをネットで注文したつもりが、何故か出来上がった状態で届いてしまったので…
ネックレスをバラして自分で編みました💧
(何やってんだ私?( ;∀;))


娘は小さい頃すごく甘えん坊で、いつも私と手を繋いで私の顔を見ながら寝る子でした。

私はすぐに感情的になる事が多くよく怒ってしまう事がありました💧
でも娘はいつもいつも「お母さん、お母さん」っとそばにくっついて来てくれました。

愛しくて、可愛くて、こんなに大切な存在があるのかと娘を産んで初めて思いました。
どんなに大変でも娘の為なら疲れていても頑張れました。

中学生の頃からは少し親子関係が悪くなった時期もありましたが、高校の頃からはまた「お母さん、お母さん」が復活して、買い物にもよく一緒に行ってくれいつも率先して買い物カゴを持ってくれました。


私は娘が高校生になって高校の制服を初めて着たのを見た時
「こんなに大きくなったんだなー!( ´∀`)」
とすごく嬉しかったです。


短大生になり勉強が大変な時はかなりイライラしたようすで態度も悪かったので
「勉強が大変でイライラするんなら就職してもらって良いよ(⌒‐⌒)」
と私が嫌味を言ったので、その後から全く言わなくなりました。


成人式や短大の卒業式の時は私の振り袖を着ると言ったので、私は古い振り袖で時代遅れじゃないかととても心配でしたが
「友達からすごく好評だったよー!!(*´ω`*)」
と喜んで帰って来ました。



私をいつも支えてくれたのは娘でした。
こんな情けない母親で申し訳ないと思います。


私が離婚した時実家の母が息子に辛く当たったり、前に住んでいた家にいられなくなった事を子ども達がすごく悲しんだので、これ以上二人を悲しませたくなくて
私が子ども達の笑顔をなにがあっても絶対に守る!と誓いました。


あの夏から13年
去年の秋に娘がノロウイルスにかかった時
仕事が終わるのを待って飲み物や食料をもって娘のアパートに行きました。
でも私だけじゃなく娘の彼氏も隣県から寝ないで、私と同じように飲み物や食料を持って娘の所に来てくれると聞きました。

もう私一人で子ども達を守らなくても良くなったんだな💧
と嬉しい気持ちとさみしい気持ちで泣き泣き高速を運転して家に帰りました。


離婚した時この先三人でどうやって生きていったら良いのかわからず、どうにもならないくらいの不安だった私を助けてくれたのは娘の明るさでした。

娘が私を守ってくれました。
ありがとうね。



これからは啓太君がはづきの笑顔を守ってくれるようになったんだね。
すごく嬉しいけどお母さんはやっぱりさみしいです。
正直に言うともっと一緒にいたかったです。
会社の都合で離れて住む事になった時はすごく悲しかった。
いつも「お母さん、お母さん」と手を繋いで来ようとしていた小さいはづきが懐かしいです。


でも啓太君は優しくて頼りになる人だからきっとはづきを大切にしてくれると思うよ。
お母さんは富山からはづきと啓太君の幸せを祈っているからね。


また富山に来る時ははづきの好きなご飯を作って待ってるからね。


自分が一番嘘つき。

ずっと自分に嘘ついて誤魔化して生きてきた。
その結果相手をすごく苦しめた。



ごめんなさい。
本当はずっと一緒にいたかった。
でも結婚しない人だって言ってたから、私も結婚しないって思い込むようにしてた。


だから正直になれなくなって
ひねくれた事言ったり素直じゃない態度とって、ぜんぜん甘えたりできなくなっていった。


そんな奴と一緒にいても楽しくないよね。
でもいつも向こうは優しくしてくれた。


ごめんなさい。


なんでこうなっちゃったんだ?


好きなのに
ずっとこの先一緒にいられないって事で
辛くて悲しくて…
お互いにたくさん苦しんだ。


相手をぜんぜん大切にできてない。
いつか離れてしまうってだけで…



でも人生って本当はそんなものなのかと思った。
いくら好きな人でもいつか死ぬ時が来れば別れてしまう。


だから悔いの無いように、相手を大切にして一緒に過ごしていけば良いんじゃないかな。



今度もし誰かと出逢える時があったら
残りの短い人生を悔いの無いように相手をずっと大切に過ごして生きてきたい。




私、誰かと出逢えるかな…

もうこれからは自分に嘘つかないで生きていこう。