暴力的な言論活動がテロルを引き起こす。それは目に見えていた。まるでマタドールが猛牛を挑発するように議論する事は優れた文化なのだろうか。所謂ディベートというヤツもテーマを決めた論戦を重ねる事によって論理力を磨くという大義名分があるのだろうが相手の忍耐力にあまり期待しない方がいい。獣人間なんて呼ばれていい気分でいられる人間ばかりじゃないんでね、この世の中は。
奴の口を塞げ!、という目的で或るオピニオンリーダーが射殺されて射殺した側の象徴的存在をより権力のある者が社会的に排除するということが起きるとすれば自由な言論は封殺される。まあ、実際に起きるだろうし、場所によってはそのような言論思想の自由はない。
内戦というのは構造主義的にみて同一の場所に二元論的に2つの価値観が激しくぶつかる事において起きる気がする。
煽る奴がいる。右派と左派をセパレーツして対立を激化させるために炎上のために火に油を注ぐ奴は確かにいる。
しかし、イギリス人もまあ、バッキンガム宮殿前でイスラム教徒に土下座でアラーに礼拝されたくはないんだろうけど(場所柄な、、)、移民に対する排外デモもある種の怖さを感じる。
自分も日本でしか暮らせないのに外国の方に鳥居でケンスイされたり、和式トイレを凄い使われ方したりしたら考えちまうけどね。まあ、色々あるよ。豚を食うとか食うなとか牛を食うなとか食べ放題とか文化ひとつとっても。
仲良くやれる自信がないから移民を大量に入れるのはどうかというのはまだ思想として節度があるけど、宗教的な理念において受け入れておいて事後的に信念、信仰が違うとかになると阿鼻叫喚の修羅場になるという現実を我々は見ている。
難しい状況に直面している。
『明日はどっちだ』
