なぐちゃんが幼稚園のころ、南雲家は貧乏であった。父が田舎の医院をたたんで東京の病院に勤務し始めたからである。当時の若い勤務医は会社員よりも給料が安かった。それでも朝はご飯に玉子が付いた。といっても一人に一個ではない。家族四人で一個である。まずみんなのご飯の真ん中に父が箸で窪みを付ける。次に玉子をかき混る。このとき黄身をつぶさないように白身だけスフレ状する。そして最後に黄身を混ぜるのである。こうするとだまにならないから均等に分けることができるのである。そして誰からも苦情が出ないように正確に四等分するのである。今の時代は玉子かけご飯というと、玉子の中にご飯粒が浮かんでいるが、当時はご飯がかろうじて黄色く染まる程度であった。あの味が忘れられない。