【部員ブログ】#46 市沢捷人 『新たな挑戦』 | 名古屋大学体育会サッカー部

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2020年4月より部員ブログ開始しました

『新たな挑戦』

皆さん、こんにちは。名古屋大学サッカー部に所属している、経済学部2年の市沢捷人です。
先にお伝えすると、この文章は自粛生活が長くなってきて、退屈な時間が増えてしまった方々向けにとても長い文章となっております。ご了承ください🙇‍♂️

(この部員ブログを書くにあたって、ずっとステイホームしてるし、外は雲ひとつないいい天気だし、気分転換に外で散歩しながら文章作ろうと思ったものの、スマホに原稿を打ち込むわけだから「歩きスマホだ」と叩かれると気付いてしまったので、家で大好きなsumikaの曲を聴きながら作ることになりました。)

自己紹介がてら、私のあるあるを1つお伝えします。誰しも、初対面の人に会う時はまず自分の名前を覚えてもらうことから始まると思います。皆さんは、相手の人に自分の名前をすぐに正確に覚えてもらえるでしょうか。大半の方はイエスと答えるでしょう。しかし、私はそう言い切れません。苗字は珍しい方ではありますが、漢字が簡単なこともあり、すぐ覚えてもらえます。問題は下の名前です。同級生をはじめとして、同じ年代の友人はみんなすぐ覚えてくれますが、友人の親御さんなどの大人にはどうも伝わりにくいのです。その間違え方は一択でみな「しゅうと君」と呼んでしまいます。最初に会ったその日はさすがに「しょうと君」なのですが、2回目に会った時にはもう「しゅうと君」になってしまいます。恐らく、よく言われますが、何となくサッカーしてそうな見た目で、実際にサッカーをやっているからでしょうね。それと、シンプルに「しょうと」という名前が珍しいのもありますね。これまでの人生で、他の知り合いの「しょうと」は1人しかいません。何なら、出会った時は割と驚いてしまいました。こういう、思い込みや印象の力はすごいみたいで、名古屋に来てからも、怪我をして通っていた整骨院で、フリガナがあるカルテを見ているはずなのに、しっかり「いちざわしゅうとさん」と呼んでいただき、受付の方には、「イチザワショウト」と書いてある診察券を見て、「すみません。こちら、お名前を間違えてしまっていますね」と言われてしまいました。思い込みって怖いですね。皆さんも、正確な情報を得ることを心がけましょう。

長々となってしまったどうでもいいあるあるはここまでにして、本題に入りたいと思います。私ははっきり覚えてないですが、保育園の年中かそれくらいの時期からサッカーを始め、中学では地元のクラブチームに入りました。今もそうですが、当時から目立った技術もなく下手で、ただ体力がまわりより少しあって走れるだけの選手だったので、トップの試合にはあまり絡んでませんでした。そこから高校に進学して、サッカー部に入部しましたが、この時は面倒くさそうだという気持ちがありましたが、入部を決めていたまわりの友人に中学クラブでやってたんやろと説得され、まあ帰宅部よりはマシかな、と引っ張られる格好で、期限最終日に入部届けを渋々出しました。私が通っていた高校は自称進学校で部活よりも勉強を重視していて、2年の冬の新人戦で引退するという所で、さらには練習の時に顧問が来ることはごく稀で、基本的に自分たち選手自身でメニューを考えて、活動していました。なので御察しの通り、弱小チームでした。それもあり、私は1年からスタメンで出させていただいてました。当時はボランチで、機能していたかと言われれば、うーんって感じでしたが、サッカーとフットサルのどちらも本気で取り組んでいたクラブチーム時代に培った足元の技術は、大いに活きていると思いました。1年からそれなりに頑張っていましたが、2年に入ってから夏にかけて、多くの同級生が大学受験を見据えて部活を辞めてしまいました。私も、この流れで辞めてしまおうかと考え始めましたが、今はこれまでの人生の中でも一番純粋にサッカーを楽しめている感覚がある、でも勉強面では力不足で周りと差をつけられていて受験に不安もある、と悩んでいました。実際、私の高校の進学実績的には、現役で私が目指していた旧帝大や早慶以上に受かっていった人たちは、ほとんど部活に入っていても2年の秋までには部活を辞め勉強一本に絞っていました。サッカー部は前述の通り2年の1月辺りまで活動があり、周りの人よりも長く続けることになってしまいます。この時期まで部活を続けて現役でさっきの大学に合格する人は、私の高校では完全なるレアキャラでした。いたとしても、大体は中学から通っている一貫生で、私のように高校から入学した身ではなおさらでした。しかし、この悩みに対してある方々から「じゃあ、その先駆者になればいい。新しい挑戦をしよう」という言葉をいただきました。私が相談していた親と担任からでした。言葉は違えど、どちらも同じ返答が来て、まあ、やるしかないなと決め、しっかりと最後まで続け、その後ちゃんと現役合格を勝ち取りました。(最初の第1志望ではなかったですがw)アドバイスをもらった時は、ネタ感もあって適当に聞き流してしまっていましたが、合格した時にはあの言葉はとても重いものだったなと感じました。恐らく、途中で辞めてしまっていたら、性格的に時間が逆に生まれ過ぎた分、私は勉強に身が入らなかっただろうと思っています。

そんなこんなで入学した名古屋大学。私はここでも何故だかサッカー部に入部したわけですが、やはり大学サッカーは甘くありません。もともと細身で1年以上もサッカーから離れていた私には当然でした。名大に来てから初めての対外試合、始まって10分ほどで怪我を負いました。肋骨骨折でした。私自身初めての大きめの怪我での長い離脱、それにまわりの同学年の選手はどんどんコンディションを上げていっている、内心とても辛かったです。その後復帰した後も、小さい怪我や慣れない一人暮らしの環境からか何度も体調不良になったりと、思うように体も動かず、サッカーが出来ていませんでした。ぶっちゃけ言えば、高校、いや中学の自分の方が上手かったと思います。そうやって、サッカーを楽しめもせず、何となく無理しているなというストレスを感じながら励んでました。それでも年が明け、新シーズンが始まり、また一からのスタートと私の中で意気込んで活動してきて、少しはコンディションが上がってきたかなと思っていました。遅過ぎましたが、対外試合で初めてゴールも決めました。しかし、初ゴールも束の間、その3日後、気づいたら入院生活が始まりました。(生活って言っても約一週間でしたが)
まさかの盲腸でした。腹痛が酷かったので、薬を出してもらおうと近くの病院に行ったところ、大きい病院に救急搬送されてしまいました。
こんなことになり、さすがに心が揺れました。サッカー部をどうしようか。辞めてしまおうか。これ以上無理してまで続けるものなのだろうか。入院中も、退院してからの自宅静養中もずっと考えてました。でも、こんなにも人がいい先輩、同期しかいない名大サッカー部を辞めてしまうのはもったいないし、むしろどんな形でもいいから名大サッカー部に貢献していきたいと感じました。
  その後、外出できる状態になり、部活内での自分の今後について一部の4年生の先輩方と相談をしていただきました。あいにく、今はコロナウイルスの蔓延で直近の公式戦は無くなり、部活動も停止となっていて、まだ具体的に何もできていない状態ですが、今後は部活内での自分の立場、そして自分自身の体の状態を踏まえて、よりチームに貢献していける形にしたいなと思っています。そしてこの決断は、サッカーで貢献しようというこれまでとはまた違う、"新たな挑戦"になると思います。私は大学受験の時と同様に、この"新たな挑戦"を通して自分の成長につなげ、将来の布石となるように頑張りたいと思っています。今後、どうしてそんな決断をしたんだと感じる方もいるとは思いますが、こういう自分の気持ちを踏まえての決断だということを理解していただければと思っています。
(今回の件に関して、相談に乗っていただいて、僕ごときの考えを受け入れていただいた4年生の先輩方には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。自分としては、言ってしまえば1つのわがままを聞き入れていただいたようなことだと思っているので、そのことを忘れずに日々精進していきます。今後ともよろしくお願いします。)


よく分からないあるあるの余談から真面目な話と、とても長い文章になってしまいましたね。読んでくださった皆さん、暇つぶしにはなったでしょうか。私はひとまず文章を書き始めたら本当に止まらなくなってしまいます。おかげで大学の○○文字以上というレポートには困ったことはありません。先月も、とある科目で毎回の講義に簡単な感想をオンラインで提出するだけなのに、15分ながらも作文のゾーンに入ってしまった私のたった一回分(しかも初回授業の)の感想文は1057文字に到達していました。でも内容は保証できません。今回もただただ長い、まとまりのない下手な文章になってしまいました。そんなつまらないながらも最後までお付き合いしていただいた方々に御礼申し上げます。

聴いていたsumikaのアルバム『chime』が一周してしまったので、ここまでとさせていただきます。

市沢 捷人