す地震と息子胃腸炎娘インフルの年始からはやいものでもう3月も後半である。

すっかりお仕事な日々であった。


新しいお仕事内容がバンバン与えられ、手の遅いわたくしは夕飯作成が遅れ、夕飯がずさん。

愛情とやる気は仕事と日常をまわすので使い切っている。


娘の10歳の誕生日があった。

自分がやってもらえなかったというネタミソネミはようやく薄れつつあるかもしれない。

パーティーもただの行事食で、お正月におせちをたべるといった感じ。

子がかわいくて仕方ないみたいなTwitterに温度差を感じる。


二月の勝者を無料期間に精読した。

親のドラマがwowだったし、相対的貧困もoh...

それを後年認識して、育児とか読み物とかで折にふれ思い出す各タイミングで小さく傷つくなどと思った。


母の誕生日に母姉を我が家に招いた。

そこそこ平和だった気もする。


新しいお仕事内容に、半ば勉強的なものがあり、古のYahooジオシティーズ時代の経験がいかされることとなった。

インターネット老人がシルバー人材として活躍するとは…。

当然ではあるが、老人ゆえ覚えが悪く、画面共有して実技演習してもらうときテンパリストである。

しかもすぐ忘れるから、教わったことをパワポにまとめる。スクショがないと覚えられない老人。

なお教えてくれる女性は同じ学年のバリバリエンジニアで、まぶしい。

ちなみにその方は、べつの仕事のリーダーの男性の奥さまらしくて。

ネットのおつきあいゆえ、ほとんどの人のプライベート全く知らないんだけど、たまに知らされるとギョッとする。ギョギョ。


で、もうすぐ娘のピアノ発表会。

なんとわたくしも便乗して、ピアノソロに加え歌でもぶっこむことになった。

なのに3月入って息子がインフル、からの直前になって花粉か風邪かとにかくわたくしの調子が悪くてピンチnow。

伴奏は大人1人でるのヤダから一緒にでて、と誘ってくれたピアノ生徒さんの母にお願した。

んだけど、やはり学生時代とか相棒のアレとは全然違くて、あの時恵まれていたことに気づいた。


なんだけど、この歳でもう一度ステージに上がれるのも超ラッキーである。またはめぐり合わせ、または運命!

歌詞通り、もう一度生きなさい、ができる。

もう一度生きたい!母でもアルバイターでもない音楽やってる自分を!


どうでもいいが、テレビの見逃しで、ナレーションも登場人物もない京成本線を、上野から成田空港までの車窓や過去の風景をまとめた番組をみた。

高校のせいか、楽しい系の懐かしさだった。

番組にでなかったので、船橋駅の京成からJRの朝の乗り換えのヤバい市場的な風景がもう一度みたい。

どうでもいいが、どこかの梅園で、野梅(やばい)をみた。