なごやんのBCL史(43)ポルトガルの支配下で
今回はアフリカ南東部にあるモザンビークの放送局です。
モザンビーク関連のグッズは何かないかしらと探していたら、ありました。チョウ(1枚はガ)の切手です。
【背景】
モザンビークには他の多くのアフリカ諸国同様、数百万年前から人類が住んでいたと言われますが、ヨーロッパ人たちの目に留まるようになったのはポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマがこの地に来た15世紀末、実質的には16世紀になってからのことです。
ポルトガルは17世紀のうちにモザンビークを植民地にし、首都をモザンビーク島に置きました。
現在の首都、マプトが、「ロウレンソ・マルケス」の名で作られたのは18世紀末のことです。
ポルトガルの圧政に苦しむモザンビークだけでなく、第二次世界大戦終了後、アフリカ諸国では独立の機運が高まり、1960年は一挙に17か国が独立する独立の年になりました。
そんな中でモザンビークでは 独立を目指す3勢力を合同した「モザンビーク解放戦線」が結成され、支配者のポルトガルに対して武力闘争を行いました。
モザンビークが独立したのは、実に1975年になってからです。
【モザンビークラジオクラブ】
私がこの国からの放送を聴いたのはモザンビークで独立闘争が盛んに行われていた時代です。
一般の国民たちが、その闘争に、そして独立にどの程度関心を持っていたのかわかりませんが、日本ではそれほど大きな話題にはなっていませんでした。
当時の私のアフリカ情報は英国のBBC放送やオランダのRNW、南アフリカのRSAから、そして西ヨーロッパからの独立闘争を支援するソ連邦、モスクワ放送からのものが主でした。
モザンビークの放送局としては「ロウレンソ・マルケス・ラジオ」が有名でしたが、私はそれを聴いたことがありません。私が聴いたのは「モザンビークラジオクラブ(Rádio Clube de Moçambique)という放送でした。
1933年に放送を開始したこの局の出力はわずか25KWと小さかったのですが、時には良好な受信状態が得られました。ポルトガル語で「Aqui Lourenço Marques, Rádio Clube de Moçambique presentando(?) no(?) ondas curtas.(こちらはロウレンソ・マルケスです。モザンビークラジオクラブが短波でお送りします。)」とアナウンスされました。

ポルトガル語放送で、国内向けか国外向けかはよくわかりませんでした。私はポルトガル語で自分の考えを表出することができないため、英語でポルトガル語放送の受信報告を送りました。
受信証が約1か月後に葉書で送られてきましたが、プログラム等は送られてきませんでした。
この放送局のその後の歩みはよくわかりませんが、現在、ラジオ・モザンビーク(Rádio Moçambique)という名称になっています。これはおそらく1975年の独立後のことではないかと思われます。同局のホームページを見てもはっきりは書いてありません。
というところで、次回はまたヨーロッパへ行きます。
短波、海外放送の過去記事一覧はここにあります。
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