毎日、暑い日が続きますね

 

子供達は、プールが始まりまして

 

プールのある日をとても楽しみにしています

 

上の子の通う小学校では3年ぶりのプール指導

 

開始らしいです。少しづつ以前の生活に戻り

 

つつあり、うれしく思います。

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親への報恩と源信僧都(2)
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仏教では、親の恩に報いる最高の道は

親にも、仏教で教えられる「無上の幸せ」を伝えきることだと言われます。

そのことを源信僧都(げんしんそうず)という方のことを通して紹介していました。

その続きです。

 

比叡山で必死に勉学に励んで頭角を現しはじめた源信

 ついに、時の天皇より、
「源信から、経典の講釈を聞きたい」
と、比叡山に要請がありました。

 

 この時、源信は十五歳。

内裏へ赴き、説法をしました。天皇は、年若い源信の、堂々たる弁舌に感嘆し、

褒美として、七重の御衣、香炉箱などの珍宝を与えたのです。
名声を博した源信の喜びは、天にも昇る心地でした。
「ああ、お母様にお伝えしたら、どんなに喜んでくださるだろうか」
 源信は、事の始終を手紙に書き、天皇から贈られた品々と共に、郷里の母のもとへ送ったのです。
 ところが、母から、一通の手紙と共にすべての荷物が、送り返されてきたのです

 
「私は、片時も、おまえのことを忘れたことはありません。どんなに会いたくても、

やがて尊い僧侶になってくれることを楽しみにして、耐えてきたのです。
 それなのに、権力者に褒められたくらいで有頂天になり、地位や財物を得て喜んでいるとは

情けないことです。名誉や利益のために説法するような、似非坊主となり果てたことの口惜しさよ。
 生死の一大事を解決するまでは、たとえ石の上に寝て、木の根をかじってでも、

仏道を求め抜く覚悟で、山へ入ったのではなかったのか。
 夢のような儚い世にあって、迷っている人間から褒められて何になりましょう。

生死の一大事を解決して、仏さまに褒められる人にならねばなりません。
 そして、すべての人に、生死の一大事の解決の道を伝える、尊い僧侶になってもらいたいのです。
母より」

 手紙の最後には、次の歌が書き添えられていた。

 後の世を渡す橋とぞ思いしに
    世渡る僧となるぞ悲しき

 源信の目に涙があふれた。まさに徹骨の慈悲

迷夢から覚めた心地で、ひたすら、生死の一大事の解決を求めて、勉学に励むのでした。

 それから二十五年以上の歳月が流れた。ついに、弥陀の誓願によって、

生死の一大事の解決を果たした源信は
「今度こそ、お母様に喜んでいただける」
と、郷里へ向かった。


 ところが、途中で、自分へ手紙を届けようとして急いでいる男に出会ったのです。

姉からの手紙で
「お母様は、もう七十を超えられ、体が弱くなられました。ここしばらく風邪で寝込んでおられたのですが、

ますます衰弱され、明日をも知れぬご容態です。そんな苦しい息の中から、源信が恋しい、源信に会いたい、

と繰り返し言っておられます。どうか、少しでも早く帰ってきてください」
 驚いた源信は、ひたすら我が家へ急いだ。

「源信です。ただいま帰りました」
 母の耳元で、そっと告げると、
「よく帰ってきてくれたのう。今生では、もう会えないかと思っていた……」
とつぶやき、顔に、生気がよみがえってきた。


 源信はすでに四十歳を超えている。

幼い日、比叡山に登ってから、一度も顔を見ていないが、母は、毎日、

息子が仏法者の道を踏み外さないようにと念じ続けてきた。
今こそ母の恩に報いなければの思いで、源信は、仏教を伝えるのでした。
息子の説法を聞いて、母も、生死の一大事を解決し、浄土往生を遂げたと、伝えられています

母の恩に対して、仏教に説かれる無上の幸せに導くことでお返しした

源信僧都の報恩の道でした

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nagoya.japan-buddhism.com