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勢至丸と怨み
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時代劇や映画、小説、マンガなどでしばしば

 

仇をとるシーンや仇討ちの場面が描かれます。

 

「この恨み、必ず晴らしてくれ」と言い残すシーンもあります。

亡き親のため、兄弟のため、友人のために立ち上がる

主人公の姿はかっこよく、爽快感もありますが

果たして報復や仇をとることは、本当に幸せな道なのでしょうか?

平安時代の末期にこんなことがありました

1141年の春、美作国(今の岡山県)で


この地方の豪族、漆間時国と明石定明は、領地をめぐって対立していました

ついに戦にまで発展したのですが、決着がつきませんでした。
 

ついに、明石定明は非常手段に出ました。それは真夜中、ひそかに軍勢を率いて、


漆間時国を惨殺したのでした。

時国には、男の子が一人いて、名を勢至丸といい、わずか九歳でした。

武者の足音などの響きにおびえながら、物陰に隠れていたのですが
 

生き残った勢至丸は、賊が去ってから、瀕死の父のそばへ駆け寄り
 

「勢至丸が、必ず、父上の恨みを晴らしてみせます」と誓うのでした。

 しかし、父は、苦しい息の中から、こう諭したのです。


「決して犯人を恨んではならない。私がこんな不幸に遭ったのは、
 

過去世からの、自分の行ないの結果なのだ。因果応報なのだ。
 

おまえが仇討ちをすれば、相手の子供は、またおまえを敵と狙うだろう。
 

果てしない愚かなことだ。父を思ってくれるなら、出家して、
 

日本一の僧侶になり、私の菩提を弔ってくれ」

もし、わが子に仇討ちを誓わせたら、どうなるでしょうか


他人を心で切り刻み、恨み呪いの日々を送らせることになります。

 

子供の幸せに繋がるとは思えません。

たとえ仇討ちが成就したとしても、人を殺した報いは、


わが子自身が受けていかねばなりません。
 

漆間時国は、因果応報が説かれている仏教を聞いていたからこそ、
 

わが子の仇討ちを思いとどまらせることができたのです。

勢至丸は、遺言に従って出家したのです。

 

それが後に、浄土宗を開く法然上人の生い立ちでした。


父の期待によくこたえ、真剣に仏法を学び
 

仏教界に比肩する者なき学識を備えた高僧となったのでした。

ブッダはウラミや憎しみの心についてこのように語られます。

「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、
ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息(や)む」(ブッダ)

 

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nagoya.japan-buddhism.com