パラリンピックが始まりました

 

選手が活き活きと躍動されていて

 

胸を打たれますが、選手の使う様々な

 

器具にも、製作者のいろんな思いや

 

苦労が込められていることをテレビで紹介

 

されていて、多くの人の支えがあってできる

 

ことを改めて知らされます。

━━━━━━━━━
オリンピックと諦めない
━━━━━━━━━ 

東京2020オリンピックが終わりました

 

今回もさまざまな感動を与えてくれたオリンピック

 

ではありますが、

 

2008年の北京オリンピックで金メダルをとって以来

 

13年ぶりの金メダル獲得となったのがソフトボールでした。

 

北京大会以降、オリンピックの正式種目からはずされ、東京大会で

 

13年ぶりに復活しました。その間、投手の上野由岐子さんは

 

またいつかオリンピック種目にと地道にソフトボールの普及活動に

 

力を入れてきました。そして再び、オリンピックの舞台に立つことが

 

でき、悲願を遂げることができました。

 

上野由岐子投手は

 

インタビューの中でこう語っていました。

 

『13年という年月を経て「最後まで諦めなければ夢はかなう」ということを、

 

たくさんの方々に伝えられたと思う。ソフトボールはまた次回(のオリンピック)からなくなってしまうが、

 

また、諦めることなく前に進んでいけたらと思う。』

 

この上野選手のコメントの中にある

 

「諦めなければ夢はかなう」という言葉は多くの人に夢や勇気、元気を

 

与えたと思います。

 

今回は、この「諦める」という言葉について取り上げたいと思います。

 

普段の生活の中でもよく耳にし、使われますね。

 

「諦める」といえば、ものごとを途中で放り出すことや投げ出すこと

 

という意味で使われ、

 

「諦めないで」とか「諦めずにやろうよ」などと

 

励ますときにもよく言うのではないでしょうか。

 

この「諦める」という言葉、実は仏教由来だといわれています。

 

仏教に「諦観(たいかん・ていかん)」という言葉があります。

 

これは「あきらかにみる」という意味です。

 

仏教では、どんな結果にも必ず原因があり、原因なしにおきる結果は

 

絶対にないと教えます。

 

「諦観」とは、なぜそのような結果になったのか、どうしてこうなったのか

 

その原因をあきらかにみなさいということです。

 

最初に紹介した上野投手のことで考えれば

 

オリンピック種目から外されて、大変ショックで、落胆したと思います

 

ここで上野投手は、なぜオリンピック種目から外されてしまったのか

 

またオリンピック種目になるためにはどうしたらいいのか

 

「原因をあきらかに見た」と思います。

 

オリンピック種目から外されてしまうということは

 

まだまだソフトボールの普及がなされていない、人気や魅力が伝わっていない

 

ということを「あきらかに見て」

 

それならどうしたらいいのか、

 

自分にできることは何かを考えて

 

地道に普及活動に力を入れておられました。その地道な活動が実を結んだのが、

 

今回の東京オリンピックだったといえるでしょう。

 

もしオリンピック種目からはずされてしまった時に

 

上野投手が「これは仕方ない」「どうしようもない」と諦めて

 

しまっていたら、東京オリンピックで追加種目に

 

選ばれることはなかったかもしれません。

 

上野投手は「諦める」ことではなく

 

「原因をあきらかに見て」自分にできることを地道にしていった

 

まさに「諦観」をされたといえるでしょう。

 

ですから「諦観」という言葉は本来、大変前向きで、これを実践していけば

 

どんな大変な状況や問題も少しづつ変えていけるそんな力を持ったブッダの教えなのです。

 

ところが

 

「あきらかにみる」というこの言葉が、いつの間にか「あきらめる」に変化して

 

しまった上に、ただ言葉が変わっただけならよかったのですが

 

意味まで大きく変わってしまい、途中で投げ出したり、考えるのを放棄する

 

ことになってしまいました。

 

自分としっかりと向き合い

 

原因をあきらかに見たならば、これからどうすればよいか、自分にできる

 

ことは何かを考え、実行に移し、やがて問題はよい方向に向かっていくことでしょう。

 

「諦観」してよりよい毎日への一歩を踏み出して頂きたいと思います。

 

講座に参加ご希望の方は以下のHPからご確認ください
nagoya.japan-buddhism.com