家の前に、花壇があるのですが

 

チューリップをはじめとして多くの花が咲いて

 

とてもきれいです。

 

下の娘は最近「なぁに~?」と指さしていろいろ

 

聞いてきます。花の名前がほとんどわからず

 

困ってしまいます(笑)

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ブッダ生誕の日
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今日4月8日はブッダ生誕の日とされています。

ブッダが生まれなければ知ることのできなかったことが

あるということで、感謝をこめてブッダの生誕の日を

 

「花まつり」として祝っています。


ブッダが生まれられたときのエピソードとして

 

こんな話が伝えられます。

東西南北に7歩づつ歩かれて、右手天を指し

左手で地を指されて

「天上天下唯我独尊」と仰られたといわれます

実際にこういうことがあったかどうか

ということはひとまず置いておいて

これは一体何を意味しているのでしょうか

ブッダがさとりをひらかれたのは35歳のとき

であり、亡くなったのは80歳といわれます。

ですから45年もの長きにわたって、ブッダは

教えを説いてこられました。

ブッダの教えられたかったこととは何かを象徴的に

 

あらわされているのが、誕生のときのエピソードなのです。


さて「天上天下唯我独尊」とはどんな意味なのでしょうか

今日、この言葉は「この世界で一番えらいのは俺一人だ」と

威張り散らしたよう言葉だと思われています。

しかしブッダといえば、多くの人から称賛をあびる世界の偉人です

そんな方が「俺が一番偉いんだ」などと思いあがったことを

 

いわれるはずはありません。

では「天上天下唯我独尊」とは何をいわれたものなのでしょうか。

「天上天下」とは天の上にも天の下にもということで、この世界で

ということです。

「唯我独尊」の我とは、釈迦だけのことではなく、我々人間ということです

男性も女性も、老いも若きも、生まれた国や能力・貧富・学歴・健康な人

なのか病気や障害を持っているとか一切関係なく、人間として生まれた

すべての人のことを、ここで「我」といわれています。

ですからこの中に入られない人は一人としていません。

「唯我」とは、犬や猫や鳥や魚ではなく、「人間に生まれた私達にだけ」とか

「人間として生まれた時にしか」ということです。

次の「独尊」とは、「たった一つの尊いことがある」ということです。

言葉を変えれば、「たった一つの尊い目的・使命があるのだ」というのが

「独尊」の意味です。

ですから「唯我独尊」とは「人間に生まれなければ果たせないたった1つの尊い

目的があるのだ」と言われた言葉なのです。

そんな尊い目的・使命を持って生まれてきたのが私達、人間ですから

「人の命は限りなく重く・尊厳なものなのだよ」

「命というのはとても大切で、粗末にしてはならないのだ」と仏教では

教えられるのです。


ところが

日本人は自己を肯定する気持ちが他の国に比べて低い傾向に

あるといわれます。

そのため自分に自信が持てないとか

なかなか自分の生きていることに意味や価値を感じられなくて

むなしさや孤独感、そんな思いになることも時にはあるでしょう。


そんな孤独感や自分の生きていることの意味や価値を問う

そんな歌がヒットしたのも共感を呼んだからではないでしょうか

たとえば

浜崎あゆみさんの

A song for XXでは

「居場所がなかった 見つからなかった

未来には期待出来るのか分からずに」

とか

「一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く

きっとそんな毎日が当たり前と思ってた」

などと歌われています。

また

加藤ミリヤさんの

20-CRY-では

「どうして私はここにいるの baby

どうして私は生きているの ツライ

ねぇ 誰か助けて ねぇ どうしたらいいの

もうわからないよ 私が生まれたその意味を」

と歌われています


こういった曲が歌われ、支持されたのも

自分に自信が持てないとか、生きてることの意味が

わからないといった思いを抱く人が多くあったからでしょう


そんな中、仏教を説かれたブッダは

たとえ誰が何と言おうとも、たとえ世界中から必要のない人間だといわれようと

「私達一人一人には、人間に生まれた時にしか果たせない大切な目的があるのだ」

だからどんな苦しくても辛くても、あなたの人生に意味が、価値があるんだよ

と教えられたのが仏教であり

そんな仏教の教えを象徴的にあらわされているのが

「天上天下唯我独尊」というブッダ誕生のエピソードなのです。

ですから「花まつり」を通して

ブッダが生誕なされたことに思いを馳せ、ブッダの教えを聞いて

人間に生まれた時にしか、果たせない尊い目的とは何か

仏教を通して、学んでもらいたいと思います。