先日から体調不良のためなのか下の娘が家でも

保育園にいってもグズグズして手を焼いていました。

ようやく体調もよくなってきて、今朝は

スムーズに保育園にいけて、ほっとしました。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
悪口(あっこう)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 人を非難・中傷することをいったり、陰口をいうのを

仏教では悪口(あっこう)といいます

言ったほうはそんなつもりがなくても

言われたほうはひどく傷つき、いつまでも忘れ

られないことがあります。

 人から悪くいわれたり、非難されたりすれば

誰しも快くは思わないでしょう。それどころか

「そういうあなたはどうなんだ!」と反論したくなります。

そうなるとますますお互いヒートアップして後戻りできなくなり

ケンカになったり、手を出してしまったりと、お互い傷つく

結果になります。


お釈迦様にこんなエピソードがあります。


ある時、若い男が釈尊の所にきて、さんざんののしった。

釈尊は、彼が言い終わると、静かにたずねられた。

「おまえは、親族の人たちを、招待し、歓待することがあるか」

「そりゃ、あるさ」

「親族が、おまえの出した食べ物を食べなかったらどうするか」

「そりゃあ、残るだけさ」

「私の前で悪口を言っても、私がそれを受けとらなければ、
その悪口は、誰のものになるのか」

「いや、いくら受けとらなくとも、与えた以上は与えたのだ」

「いや、そういうのは与えたとは言えない」

「それなら、どういうのを受けとったといい、どういうのを受けとらないというのか」

「ののしられたとき、ののしり返し、怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。
闘いを挑めば闘い返す。それらは与えたものを受けとったというのだ。
しかし、その反対に、なんとも思わないものは、
与えたといっても受けとったのではないのだ」

「それじゃあなたは、いくらののしられても、腹は立たないのか」

釈尊は、偈(うた)で答えられた。

「智恵ある者に怒りなし。よし吹く風荒くとも、
心の中に波たたず。怒りに怒りをもって報いるは、げに愚かもののしわざなり」

「私は、ばか者でありました。どうぞ、お許しください」と男は仏法を聞くようになったという


悪口に対して、悪口で返す
非難に対して、非難で応酬する

これはお互い傷つくだけであるとお釈迦様は教えておられます