数少ないわたしの料理のレパートリーの

 

中の1つにハンバーグがあるのですが

 

上の子がハンバーグ嫌いと言い始めました。

 

また1つ、出せる料理が減ってしまいそうです。

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塩と幸せの材料
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仏教では、私達が普段手にしているいる喜びは

本当の幸せを得るための手段であると言われ

目的と手段を決して違えてはならぬと戒められます

 

徳川家康にこんなエピソードが伝えられています

本多忠勝、大久保忠勝らの剛の者らを集めて、手柄話などをさせた後で、
食べ物のことで家康は訊ねてみました

「この世で一番おいしいものはなにか、各自の思いを述べてみよ」と

ある者は「酒」といい、ある者は「菓子こそ」という。
ある者は「果物だ」と、各自の好みのものをあげて言い争ったが
いずれも家康は納得しなかった

 やがて家康は、かねてから評価していた、お梶の方に
「お前は、なにが一番、おいしいと思うかな」とたずねた。
 にっこり笑った、お梶の方は、
「一番おいしいものは塩でございます」と、きっぱり答える。
 なるほどと、初めて満足そうにうなずいた家康は、重ねて聞いた

「それでは、一番まずいものはなにか」
「一番まずいものは塩でございます」
 お梶は、無造作に答えた。
「さすが、お梶である」
 家康は、彼女の聡明さに感心したという

 塩は味の素であり、あらゆる味を活かすものだから、一番おいしいものに間違いない。
また、すべての味を殺すのも塩であるから、一番まずいものでもある。
もっといえば、本来塩は、おいしいものでも、まずいものでもなく、サジ加減一つで変化する。

 塩は味の材料にすぎないので、これを使いこなすサジ加減こそ、味の素であると答えた
お梶の答えが家康をうならせたのでしょう

ちょうど料理の美味しさは、食材でのみで決まるのではなく

料理人の塩加減・腕が大事なように

 

私達が、これがあれば、あれが手に入ればと思っているものは

仏教では、料理でいうところの食材のようなものと見られます。

一番大事なのは、その材料を活かしきれるかどうかにあります


健康・財宝・名誉・地位などは「幸福の材料」(手段)にすぎず
「幸せの材料」に振り回されることなく
真に活かしきれる身になれよと仏教は教えられます