年賀状の準備をしています

 

SNSの発達で、最近は出す年賀状の数も

 

だいぶ減りましたが、新年の挨拶というのは

 

ふだん会えない人とも1年に1回は交流する

 

いい文化だなと思います。

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自業自得と源
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何か悪いことやひどい目にあった時に、自業自得だよといわれることがあります。

「お酒飲んで運転したから、こんな交通事故をおこすのよ。自業自得よ」

とか

「ちゃんと勉強してないから赤点とるのよ、自業自得よ。反省しなさい」

などと使われています。

実はこの自業自得という言葉は仏教の言葉であり

仏教の土台となる教えからきています。

そして

本来の意味がわかりますと、どんな状況や年齢になっても

一歩一歩前進していこうと、前向きな気持ちにさせてくれる言葉なんです。

さてこの自業自得の「業」ですが、これは昔の中国の言葉です

インドの昔の言葉では「カルマ」といわれました。

今の日本の言葉でいうと「行ない」のことです。

ですから自業自得とは、自分のやった行ないの結果は自分が受ける(自得)んですよ

という意味になります。

先ほどの例ですと、

「自分がお酒を飲んで運転した為に事故をおこす」という結果になったり

「自分がしっかり勉強していなかった為に、悪い成績をとることになった」ということです。

ですから仏教では、自分のやった行ないが自分に返ってくるんですよと教えられ

これが仏教の土台となっているのです。

今では、自業自得は、悪いことをしてひどい目にあったときに使われますが

本来の言葉の意味からいいますと、よい時も悪い時も自業自得なんだよと

教えるのが仏教です。

「一生懸命、練習して、いい記録を出せた」のも

「創意工夫して働いて、自身の売り上げが伸びた」のも

自分の行ないが生み出した結果なのだよと仏教は教えるのです。

自業自得という教えは、ひらたく言えば

「自分の未来は自分の手で切り開くものなのだよ」

「日々の行動が、自分の未来を生み出していくのだよ」ということです。


ここでよく知っておいてほしいことがあります

自業自得とは「自分の行ないの結果は自分が受ける」ということでした

この「行ない」について大事なことがあります。

それは「行ない」といっても3通りあるということです。

普通「日ごろの行ないが大事だよ」といわれたら、自分がやってることを

思い浮かべるでしょう。しかしそれだけが行ないなのではなく

他には、口でしゃべることも「行ない」だと教えられます。

どんな言葉を発するかによって自分の未来は変わってきます。

失言や失礼な言い方のため、世間や周りから反感を買う人もありますし

反対に、やさしい言葉や気遣う言葉、ねぎらいの言葉で多くの人から

慕われる人もあります。

そして3つ目が、心の「行ない」です。

心で思っていることも「行ない」なのだよと仏教では教えられます。

それどころか3通りの「行ない」の中でも、もっとも大事なのが

「日々、心で何を思っているか」だと仏教は教えます。

それは、心で思っていることが口や体の行動にあらわれてくるからです。

心が思っていないことは、口には出ませんし、行動にもなりません。

私達を動かしている、元は心にあります。

子供の頃、よく「言動に気をつけなさい」と親や先生から言われたものでした。

たしかに「言うことや、やることに気をつける」のは大事ですが

「心に気をつけなさい」のほうがもっと大事だよとブッダは教えられたのです。

心で思ったことが言動にあらわれますから、真に言動を正すときには

心に気をつけなければならないからです。

ヨーロッパの格言にも

「思いの種をまき、行動を刈り取り

 行動の種をまき、習慣を刈り取る

 習慣の種をまき、人格を刈り取り

 人格の種をまき、人生を刈り取る」

という言葉があります。

日々思っていることが行動となり

行動の積み重ねが習慣となり、習慣が人格を

形成し、やがては人生そのものに影響を与えていく

ということでしょう。

ですから

私達の人生を生み出しているものは、つきつめていくと

日々私達が思っていることが源なんだよということです。