妻の実家から柿をたくさんもらいました

 

個人的な思いですが、柿はわりと

 

好き嫌いが分かれる果物だなと思います。

 

うちでは、娘はパクパク食べていますが

 

息子は嫌いなようで一口食べるかどうかです。

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慈悲と平等
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仏教で、思いやりの気持ち、相手を気遣う気持ちや

 

優しさのことを慈悲ともいわれます。

 

「慈悲深い人だ」と使われたりしていますね。

 

慈悲の気持ちで、少しでもみなさんに喜んでもらいたい

 

と接していく人は、必ずその人自身が幸せになっていかれます

 

慈悲という善い行ないは必ず、善い結果となって返ってきますから

 

心がけていきたいところです。

 

ところが仏教では、私達人間の慈悲にはいろいろ問題点もあると

 

指摘されています。

 

その一つに差別があるということです。

 

自分の好きな人や大事な人であれば惜しみなく手を貸したり

 

時間やお金を使うこともできるでしょう。

 

ですが嫌いな人だったらどうでしょうか?同じようにできるでしょうか?

 

誰にでも分け隔てなく、慈悲の気持ちで接することができればいいのですが

 

好き嫌いの感情がどうしても人間にはあります。

 

差別だったり、えこひいきというのは、よくないと誰しも感じると思いますし

 

実際、そのような扱いを自分が受けたらとても理不尽に感じるでしょう。

 

もし反対の立場だったらどうでしょうか?

 

上司や先生など、上の立場だったら、部下や生徒に対して平等に

 

公平に接しなければならないところですが、好き嫌いの感情を抜きにして

 

接することができるでしょうか。平等に、公平に接していこうとすれば

 

するほど、やはりどうしても拭い去れない好き嫌いの感情に悩まされます。

 

こういう気持ちに悩まされる人は、それだけ平等に接していこうと

 

されているからこそ出てくる悩みであり、どんな人にも好き嫌いの心はあります。

 

それに対して仏教では、仏教を聞いている人も悪く思っている人も、

 

老若男女隔てなく、どんな人も平等に、人間に生まれてよかったという喜びの

 

世界に生きることができると説かれています。