もうすぐ子供の通う保育園で

 

運動会があります。そのため毎日

 

練習しているせいか、家に帰ってからも

 

練習しています。本番が楽しみです。

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芸能人の自殺と本質的苦しみ
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有名人や芸能人が自ら命を絶ってしまうそんなニュースが

 

今年に入ってからもたびたびあり、ファンはいうにおよばず

 

多くの人に衝撃と悲しみを与えています。

 

とくに仕事も順調で売れっ子の芸能人が自ら命を絶ってしまうとなると

 

いったいなぜ?どうしてあの人が?と思わずにおれないでしょう。

 

 生活が苦しく、欲しいものも手に入らず困っているそんな人が、

 

命を絶つというなら何となく気持ちも理解できるでしょうが、

 

何不自由のない生活を送っている人なのになぜ?と感じるのでしょう。

 

ですが、私たちにはわからないだけで、どんな人も苦しみや悩み、

 

不安を抱えて生きており、それは大統領だろうとホームレスだろうと

 

同じだとブッダは説きます。

 

そして生活上のさまざまな問題も確かに苦しみではありますが

 

それよりももっと苦しい問題があると仏教では教えます。

 

それは、さまざまな苦しみや悩みを乗り越えて

 

生きていくのは何のためなのか、生きる目的がわからない苦しみです。

 

それがそんなに苦しいことなのか?と思われるかもしれませんが

 

長距離を走るマラソンは、大変辛いものでしょう。

 

足も痛くなりますし、呼吸も苦しい、お腹が痛くなることもあります。

 

ですが、そんな苦しみを乗り越えてゴールにたどり着いたときに

 

がんばってきてよかったと心から喜べます。もしゴールがわからずに

 

走っていたらどうなるでしょう。途中で苦しくなれば、走るのを

 

やめたくなります。ですが、それでも走れ走れと言われ続けたら

 

どうでしょう。どこに向かって?何のために?それがわからないのに

 

走り続けろといわれるのですから、これほど辛いことはありません。

 

長距離を走ることも辛いですが、それ以上に辛いのはゴールもわからず

 

走り続けることです。

 

では私たちの人生マラソンはどうでしょうか?

 

もしゴールがわからずに走っている(生きている)となれば、

 

途中大変苦しくなれば走る意味を失ってしまいます。ですから

 

私たちにとって、どこに向かって生きれば、本当に生きてきて

 

よかったと喜べるのか。その人生のゴールをハッキリさせることこそ

 

真に大事なことはないのだよとブッダは教えていかれたのです。