昨日のブログで「不良」について書いたが(「不良」という言葉が適切だとは思っていないものの、他の表現が思いつかない)、昨晩何気なくテレビをつけたら、福岡のある中学校の話が紹介されていた。

なんでも、1年にわたる取材を試みたようで、内容もそれなりに充実していた。

その中身は、2年生に何人か問題行動を取る生徒がおり、その対応に苦悩する先生たちの様子を追ったものである。

トイレでのタバコはもとより、授業中に突然火災報知器がけたたましく鳴ること数知れず。

授業を抜け出した彼らのイタズラであることは明白な一方で、その現場を押さえることは簡単ではない。

イタズラと分かっていても、警報ベルが鳴れば先生たちは毎回全生徒の安否を確認して回る。

そしてその都度中断される授業。。。

大部分の生徒たちはまじめに過ごしているのだが、一部のこうした生徒に先生たちは振り回され、そして連日対応策が協議される。

ただ特効薬はないわけで、地道にその生徒と対話を試みるよりないという、そんな姿が映し出された。


で、本題はここからだ。

先生たちはこの状況をただ指をくわえて眺めているわけではなく、ある一つの工夫をはじめた。

それは授業のない先生が廊下の各所に毎回立ち、目を光らせるというもの。

と言っても、ただ配置しているわけではなく、廊下に座り込んで床に本やら書類やらを並べている。

職員室でできないので、ここで仕事をせざるを得ないのだ。

それでも、この見回りを始めてから、先生たちは残業が増えに増え、夜9時過ぎになっても職員室に灯りがついている。

「土日もなくなってしまった」というナレーションに胸が痛む。




決して諦めずに、「何かできないか」と工夫を続ける先生たちの姿に私は感動した。

必死で考え、自分たちのできることを精一杯する。

果たしてこの2年生の生徒たちに先生の想いは届くだろうか?

でももし在学中には分からなくとも、きっと卒業後に分かるはずだと信じたい。

子どもを持ってはじめて自分の親の気持ちが分かるように、彼らもいずれは先生たちの愛情、苦労に気づくはずだと、そう祈るばかりである。


それにしても、諦めずにひたむきに工夫を重ねる人の姿って本当に美しい。

そしてそんな人が、自分は知らないだけで世界中に大勢いるのだろう。

自分の努力なんてまだまだだと恥ずかしくなる。