人には、イヤな部分と素敵な部分があります。
ある人がイヤな人に見えても、その人すべてがイヤな人である、ということではありません。
たまたま、イヤな部分が外に出てしまっただけかもしれません。
その人に中にも、素敵な部分、かわいらしい部分、優しい部分はあるはずです。
もちろん、すべての部分においてイヤな人、というのもあるかもしれません。
ただ、それはかなり稀だと思います。
むしろ、すべてにおいてイヤな人がいたとしたら、大変な才能です。
マルチ商法なり、なんとか詐欺なりで、巨万の富を築けるレベルの才能です。
人間には、イヤな部分と素敵な部分があります。
全部イヤな人が少ないように、全てが素敵な人というのも少ないのです。
人間である以上、動物です。獣です。
必ず臭みはあるものです。
イヤな部分も持っているし、優しい部分も持っているというのが人間だと思います。
人間は平面ではなく、球体なのです。
光を当てる角度によって、見せる表情がちがってくるのです。
ですから、イヤな人に出会ったとき、それは、たまたまその人のイヤな部分が出てしまっているだけなのです。
しかし、ここで一歩、踏み込んで考えてみます。
ひょっとして、この人のイヤな部分を引き出しているのは、自分なのではないだろうか。
そう考えてみるのです。
これは、とても屈辱的な発想ですが、何回に一回かは、試してみると視野が広がるかもしれません。
目の前の、この人はイヤな人だ。
でも、このイヤの人の、イヤな側面を引き出しているのは、私じゃないだろうか。
そう反省してみるのです。
誰にでも、イヤな部分と優しい部分があるのだとしたら、いま目の前にいるイヤな人の中にも優しい部分があるはずです。
なのに、どうして今、その優しさを感じられないのでしょうか。
もちろん、相手に原因があるかもしれません。
でも、ひょっとしたら、こちらに原因があるのかもしれません。
たとえば、相手が嬉しそうに他人の悪口を言っている時、
「もっと悪口を私に聞かせてちょーだい」
と言ったとしたら、相手はどんどん悪口を言うようになるでしょう。
これは、相手のイヤな部分を私が引き出していることになるのです。
