こんばんは。

 

 

『ナリ心理学・豆』というブログがあります。

このブログでは、LINE@でご相談を募って、これに回答する形で記事を書いていくケースが多いです。

 

 

 

それで、「あげまんって、どんな人ですか」という趣旨のご相談が寄せられております。

 

 

 

ですので、次に私が記事を書くときは、この質問を取り上げたいと考えています。

 

 

そのための材料として、この前、童話を買ってきました。

購入した童話は以下の4つです。

 

 

 

①シンデレラ

②白雪姫

③人魚姫

④マッチ売りの少女

 

 

 

実は『マッチ売りの少女』は、あげまん論で使うつもりはないのですが、その場の勢いで購入してしまいました。

 

 

 

童話を買ったわけですが、まあ、その、なんというか、完璧にこれ、、、

 

 

 

 

 

 

ロリコンですよね。

 

 

しまった。

 

 

 

レジで出す時に、そう思いました。

 

 

でも、気にしない、気にしない。

 

 

 

次に豆で記事を書くときは、例によって

 

「ゆがんでいるけれども、しかし完成された哲学」

 

として「あげまんとはだれか」について書きたいです。

 

 

 

 

 

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ところで、せっかくなので今日は『マッチ売りの少女』についてコメントしたいのです。

 

 

あらすじはご存じとして、なぜ少女は死んでしまったのか。

 

 

少女の遺体が翌朝発見された時、街の人々は、

 

「なんてかわいそうに」

 

そう口にしています。

 

 

しかし、昨夜のひとりぼっちだった少女に誰が手を貸したというのか。

 

 

みんな我知らずで、誰も少女に優しくする人はいなかった。

 

 

少女が死ねば、誰もが「かわいそう」と言う。

 

 

死ななきゃ分からないんだよ。

 

 

少女は売り物のマッチを擦ることで得た束の間の明かりの中で、それはそれは楽しい幻覚を見ながら息絶えていきました。

 

 

死んだ後で「かわいそう」と言っても、どうにもなりません。

 

 

本当に必要だったことは彼女が生きていた間に何をしてやれたかなのです。

 

 

死んだ後では、もう遅いのです。

 

 

究極の一期一会ではないでしょうか。

 

 

死ぬ前に優しくしてあげることが本当に大切だったんだ。

 

 

私も少女が死ぬ前には手を貸さずに、死んだ後に「かわいそうに」と言うタイプの人間なので、反省しております。

 

 

人と人との出会いには旬があります。

 

 

あの時、あの場所で出会ったからこそ価値がある。

 

 

出会いとは、そういうものなのでしょう。

 

 

「ありがとう」を言い忘れた人はいますか。

 

 

「ごめんなさい」を言い忘れた人はいますか。

 

 

「好きです」を言い忘れた人はいますか。

 

 

まだその人が亡くなっていないのなら、まだ遅くはないはず。

 

 

これまでの出会いに感謝したい。

 

 

これからの出会いに胸をときめかせつつ。