拗らせ強がりちゃんが
よく言う共通だなぁと思うのがあり
言葉にできない事を言葉にしてくれた!
なんとなく分かっていた事でした!
私が言いたかったのそれでした!
と、耳に残る。
なんか急に…
知らないわけじゃなくて
言葉に出来なかったんです!
私も気づいていました…!
もう分かってたし!
みたいな苦しい感じ。
だったら聞くなよ。
分かってたんだろ?笑
分かってんなら
この矛盾にも気づくはず。
私も、心で呟いていて
矛盾していた時期があったけど
これ、結局、
分かってないのです。
分かったと言いたい…
知ってると思いたい…
そんな自分を見る。
なぜなら
9割の無意識が
頭で、体で分かり
完全に繋がったら
→言葉に
出来るから
この状態で、
→頭で分かった!
(そりゃ言葉分かれば理解はできる)
→これが私が伝えたかった事!
→堂々と自分の事のように出しちゃう
(しかもすぐに笑 誰かに負けないように感)
を、しても辻褄が合ってない
自分のまま出ている状態。
私知ってますよ〜
私理解できてますよ〜
私すごいでしょ〜
な、自分を見せつけたいだけで
誰かのようになった自分でいたいだけで
こっちの主張の方が大きくなる。
9割の自分の生き方が
繋がっていないから
違和感。
横流し感。
誰かの
生き方感。
頭で分かった!を
させてくれている方にも
敬意のない使い方、
これは
豊かな心とはかけ離れるのだ。
言葉を元に体験し
(その感覚知りたい!と素直に!)
→体でわかる
(ここまでは黙る)
→言葉になる
これが体現なんだなと。
言ってくれていたのは
この感覚なのか!!!!
私の場合は
この言葉がしっくりくるな!
など、
体から気持ちが湧き上がり
繋がり、言葉になる
この流れが興奮しておもしろいのに。
…だから同じ表現ってない。
そうなってしまっている時は
誰かになりたい時。
誰かの生き方をしたい時。
なぜ〜?から自分に潜り
自分の感覚から言葉にする
自分の生き方にも出来る。
私は自分の
経験を元にした
自分の言葉で生きていきたい。
その土台をつくる
ノートセミナー募集中↓