和笑が生まれのは

12日の朝でした。

お母さんの胎盤剥離が原因で緊急帝王切開で生まれたときには心肺停止状態でした


ママが緊急搬送された病院は大きな病院で救急車が到着する前から産婦人科の先生方と小児科の先生方が救急車の到着を待っていてくれました


だから、着いてすぐ

ママのお腹から出された赤ちゃんは小児科の先生方による蘇生処置が始まりました


1分、3分、5…   10分続けても自発呼吸が始まらない


普段なら緊急対応の先生は多くても34人だそうですが、和笑の生まれた12日の朝は年始のご挨拶に偉い先生が居てほとんどの小児科の先生が集まっていたそうです


だから、たくさんの先生がたくさんの力を費やしてくれました

それでも赤ちゃんの自発呼吸は始まらず「死産」と家族に伝えることを話し始めた時、赤ちゃんの自発呼吸が始まりました


その時間生まれて17分後。


普段の34人の先生だけでは17分も蘇生処置を続けることは難しく、たまたま年始でたくさんの先生が揃っていたからこそ17分も処置が続いて赤ちゃんの自発呼吸が始まった


奇跡のようなラッキーな状況に

感謝しかありません


そんな風に生まれたラッキー赤ちゃんが和笑ちゃんです♡




38週まで何の心配もなくママのお腹の中でスクスクと育っていた赤ちゃんが、ママの胎盤剥離が原因で心配停止で生まれた子に「ラッキー赤ちゃん」って言うのもおかしな表現かもしれないけど、やはりママは奇跡を起こすラッキー赤ちゃんだと思っています


和笑は生まれてすぐに「低体温療法」を受けました



でも

生まれた時に呼吸のない時間が長く脳へのダメージがとても大きく低酸素脳症による最重度脳性マヒと伝えられました



1か月間NICUでお世話になり

1か月間GCUでママとの生活を経て生まれて2か月後の32日に和笑ちゃんはわが家へ🏡


退院前にGCUから一般の病棟で初めてママと一緒に朝まで眠って丸一日一緒に過ごす練習を2日間ほどしてからの退院でしたが、なんと一般病棟に移った日から34度台の低体温に


NICUGCUのようには室温管理がされていない一般病棟では体温調整が苦手な和笑ちゃんはいきなり体温が下がりました


まだ和笑の特徴を全然わかってなかったママはあまりの体温の低さに泣きそうになりましたが病院だから怖くはありませんでした


自宅に帰ってから34度台の体温を初めて見たらきっと怖くて泣いて病院にトンボ帰りしていました(笑)


そんな

体温調整が苦手ですぐに低体温になってしまう重症心身障害児の和笑は退院してすぐに家族と「お出かけ」をしています


34度台の体温で、まだ生まれて3か月にもならない赤ちゃんをどーして「お出かけ」に連れだすのか?


普通なら「出かけません!」

よね~~


同じ1月生まれで、健常に生まれた兄ちゃん、姉ちゃんでも寒い季節だったから生後4か月くらいまではあまり連れ出さなかった


なのに、なぜ

重症心身障害児で体温調整が苦手な和笑を生後3か月から「お出かけ」に連れ出すのか


それには

パパの強い思いがあったからです


ママはパパの思いを知って涙が止まりませんでした


そして「お出かけ」に賛成


パパの思いは(続き)と(まとめ)でお伝えしています


重症心身障害児の和笑と「お出かけ」する理由

(続き)

https://ameblo.jp/nagonago0102/entry-12482537544.html


重症心身障害児の和笑と「お出かけ」する理由

(まとめ)

https://ameblo.jp/nagonago0102/entry-12482539821.html




読んでくださり 

ありがとうございました