【「光る君へ」現時点の所感 これは果たして「大河ドラマ」なのだろうか?】
きょうは「光る君へ」をここまで視たあっしの所感を少し述べます。
情感ある人間ドラマにきっちりなってはおり、ヒロインの「夜遊び大王」も的確な演技力、もちろん豪華な脇は盤石の存在感、色んな思惑や陰謀・確執も描かれてて「人間ドラマ」としてはいい空気、だと思います。登場人物のキャラのあの部分とこっちの人物のこの部分を結べば源氏物語のこの人になる、とかいろいろ妄想できるのも楽しいことは…楽しいし。
音楽は、担当の作曲家のかた、よほど古典のオマージュが好きと見えて、タイトル音楽はラフマニノフのピアノ協奏曲風、挿入BGMの一部には、リムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」冒頭のパロディー、重厚感ある仕上がりです…が…
なんかここまで視てて、大河ドラマというよりは「平安メロドラマ」の空気感が…たしかに歴史の表舞台がステージになっており、道長のこれからとか考えれば歴史のど真ん中に入って行くのでしょうが、なんか、歴史はあくまで「舞台の背景」にとどまってて、女性として時代をどう泳ぎ切るか、そこに強く力が入ってる分、これまでの大河の「ダイナミックに歴史を描く」部分がとても弱いように思います。
それと、フィクションなんだから許したいですが、時々それを超えたスーパーファンタジーが多すぎる気が…道長と馬のタンデム乗りをする下級貴族の娘っ子、京の町であんな目立つことしてて誰も噂にしないのか?あのオヤジ(どっちも)がよくあれで怒らないな、とか、少なくとも7~8人の遺体を埋める穴をたった二人で、しかも道具も何もなしに指で地面をかきむしって掘るシーンとか、無理、あり過ぎじゃね?とか突っ込みたくなりますが皆さんはいかがでしょう?
まあ、世界初の女流長編恋愛物語の作家の話、だからこれでいい…と言い切れるかどうか、私のように頭の古い人間には、違和感がいっぱい。番組締めくくりのミニ紀行が通常の大河モードであることが一層、浮いてるように感じられます。
あ…それと、シェヘラザードの冒頭、風のあの音楽は、安倍晴明の陰謀シーンとか微妙な空気のBGMには使ってほしくないなぁ…
このあと、歴史の動きをどのくらい骨太に取り込めるのか、そのあたりが正念場だと思います。
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「中身人間やろ」 ドア前に集まる猫、次の瞬間「爆笑した」「どうなっているの」 | TRILL【トリル】 (trilltrill.jp)
時おり、ネコはハッとするほど賢い一面を私たちに見せてくれます。