長女の子育ては、初めての子供という事もありますが、何かしっくりいかないというか、やりにくさを感じていました。首の座りは普通でしたが、その後の成長が本に書いているよりゆっくりで、ハイハイも、タッチも、歩くのもおしゃべりも…全て周りよりも遅くて、絶えず不安に思っていました。自分で何かをしたがるという事がなくて、何かと受け身の子でした。しかし、何ヵ月健診等では、何せ体が大きな子でしたので、その度に様子を見ましょうと言われました。実際しばらく待てばちゃんとできたので、あんまり気にしないようにしていました。言葉も、会話はあまりできませんでしたが、歌なら歌えたので、この子は歌で言葉を教えた方がいいのかな?と思い、よく歌を歌って聴かせました。そして、「おかあさんといっしょ」等のNHKの教育テレビ(今のEテレ)をよく一緒に見ていました。ところが、下の男の子の子育てが、本当にマニュアル通りといいますか?成長も早く、言葉もよくしゃべり、やりやすかったので、長女の子育ては、初めての子育てという事で、私がちょっと神経質になりすぎたのが、良くなかったのかな?と思ったりしていました。母子の相性も息子との方がいいのかな?とまで思い、若かったので、何も分かっていませんでした。そして、長女の3歳のお誕生日に、阪神淡路大震災がおこりました。私の一族も友人知人も、誰も亡くならず、家も最小限の被害で済み、生活にあまり影響はなかった…と思っていましたが、思わぬところでその影響を受けていました。阪神淡路大震災の影響で、長女の3歳児健診がなかったのです。あれだけ大きな地震の後で、神戸市は多大な被害を受けたのですから、赤ちゃん健診どころではなかったのです。結局娘の健診は半年遅れでようやく再開されました。何かとゆっくり成長している娘ですが、その頃には幼児教室にも通い、それなりに成長していましたので、3歳児健診も引っ掛からずにすみました。またしても少し様子を見ましょう…という一文つきでしたが…そんなこんなで、長女が障害児とわかるのには時間がかかりました。長女の障害が早く分かれば、早く動き、少しはその後の療育もスムーズにいったかもしれませんが…恐らく3人目の次女は誕生してなかったと思いますし、(心も体力的にも余裕がなく、生んで育てる自信もなかったと思いますので…)これも何か意味があるのかもしれません。