1月26日
関宿の続きです。
関地蔵院です。
(通称・関のお地蔵さん)
わが国最古の地蔵菩薩ですね。
天平13(741)年、聖武天皇に
命じられた奈良東大寺の
僧行基が、諸国に流行した
天然痘から人々を救うため、
この関の地にも、地蔵菩薩を
安置したと伝えられています。
本堂の「地蔵堂」の名が
金ぴかですよ。
この中に地蔵菩薩が
あるんですね。
賓頭盧様です。
触られまっくたのか、
色が剥げていました。
ちょっと怖い顔ですね。
愛染堂です。
愛染明王が祀られていますよ。
年に1度、8月26日にだけ
御開帳されるみたいですね。
鐘楼です。
そして横には、聖武天皇、
明治天皇、一休禅師の名が
ありました。
一休禅師は、とんちで有名な
「一休さん」ですね。
昔ばなしによると、村人が、
修繕をした地蔵の開眼供養を
関宿を通りかかった
一休禅師に依頼しました。
しかし、一休禅師は、
引き受けたのの、
一句詠み立小便をして
立ち去って
しまいました。
これに怒った村人たちは
別の僧に開眼供養を
やり直してもらいました。
その晩、高熱を出した
ある村人の夢枕に地蔵が立ち、
供養を元のようにせよと
命じました。
あわてて桑名の宿にいた
一休和尚に助けを求めると、
地蔵の首にかけるようにと
古びた下帯を手渡され、
言われたとおりにしたところ、
高熱は下がったといいます。
「さすが、一休さん!」
鹿の像もありましたよ。
鈴鹿の名の由来は、
大海人皇子(のちの天武天皇)が
東国への途中、洪水に難渋して
いるところに駅路鈴をつけた
鹿が現れ、その背に乗って
川を渡ったという伝説から
らしいです。
関宿には、
「昔ばなし」がいっぱいですね!
関地蔵院の近くには、
会津屋がありました。
もとは、旅籠ですね。
今は、山菜おこわ、蕎麦料理の
お店です。
そして、店名の看板を見ると、
写真向かって左側(京側)が
「あいづや」
右側右(江戸側)が「會津屋」
ですね。
関宿の看板は、見る向きによって
”漢字”と”ひらがな”が
使い分けられていると
言われています。
江戸から京に向かう人は
“ひらがな”を、
京から江戸に向かう人は
”漢字”を見るようになっています。
尚、この特産品の近くには、
駐車場が、ありますので、
車で来た人は、このお店で
お土産を買ってもいいかも!
また、駐車場の近くには、
足湯「小萬の湯」もあるそうです。
歩き疲れた後、
足湯って最高ですね。
(写真は、お借りしました。)
その後、西の追分に向かいました。
次回の投稿で紹介しますね。