生きていることに感謝 | 第二回日本の看取りを考える全国大会

第二回日本の看取りを考える全国大会

   自宅幸せ死を勧めていくために

これからご紹介する文章は、看取りの家なごみの里にボランティアで来て下さった20歳の女性から頂きました。
看取りの経験を文章にしてくださいました。
2008年の出来事です。


専門学校を卒業し、介護の職に携わって2ケ月余り。
私は、人口700人の離島知夫里島で、掛け替えのない場面に立ち合わせて頂いた。
それは、看取り看取られるという、幸齢者様の終焉。
私には想像し難い程の体の苦痛の中でも、決して医

療に頼らず、そして私たちにも甘えない。
そんな凛とした方だった。様態が悪化した頃から、職員は交代で傍らに寄り添い、心の準備をさせて頂いた。私たちにくれた笑顔や、教えて頂いた潔さに心からの感謝を捧げながら。

そして、親戚の方々、島の方々、職員に見守られる中、人生の幕を下ろされた。
穏やかな日差しと空気が流れ、たくさんの人々が心いっぱいのありがとうを伝えた。
天国という場所があるのならば、きっと同じ情景なのだろうと思った。
いや、旅立つ先が天国であるのならば、同じ情景であってほしいと願った。それ程に幸福な情景だった。

そして、冷たくなった手に触れさせて頂いた。
自然に涙が溢れ、止まらなかった。悲しさという感情だけではない、流したことのない涙だった。

『生きていることは、当たり前のことではない』
何度も耳にしたが、20年間、毎日当たり前のように朝を迎えていた私は、実感として感じることができていなかった。
でも、幸齢者様は、全力で命を燃やし、生きていることの素晴らしさを教えて下さった。

看取り看取られるという瞬間に立ち合わせて頂いた時に感じた幸福感が今も続いている。
この幸福感こそが、見守って下さっているということなのだろう。
幸齢者様は、死をもって私たちが“生きている”ということを教えて下さった。
生きているということが素晴らしいということを。

命は儚く、そしてとても尊い。
生きていることに感謝。
そんな気持ちが、私の心の中に宝物として今もキラキラと輝いている。
風のようによりそって