既に一日一便のフェリーは出港し、小船を乗り継いで本土へと渡る。私は道々「大丈夫。大丈夫。生きていて」と念仏のように唱えていた。島根から福岡までは、どんなに急いでも小一日がかかる。
病院に着くと、まだ若い友の子供達が心配そうに、彼女の傍らに居る。
「良かった。来てくれて」友は私の顔を見ると安堵したかのように、手をとり喜ぶ。そして「抱いて」と私の顔を抱き寄せる。
「大丈夫。もうあなたの思う通りになるよ。あなたには神様と同じ力があるんよ。思うように祈りなさい」そう声をかけて抱きしめる。
闘病中、私達は言葉の力を信じ、子供達と共に、彼女の健康を祈った。言葉の薬と呼びながら、いつも希望だけを見つめていた。
夜半過ぎ、友は高熱の中、荒い呼吸にあえぐ。私は腕の中の友の呼吸に自分の呼吸を合わせる。そして私の呼吸を彼女に渡す。10分経ち、20分が経つと彼女の呼吸は穏やかになる。そしてそのまま、数分後、彼女は私の腕の中で逝った。
「あなたが居て良かった。ありがとう」この言葉が最期の言葉となった。
傍に居る子供達に声を掛けるように言う。
「おかあさん」「おかあさん。ありがとう」「おかあさん。未だする事があるよ。逝かないで」
口々に言いながら、母を摩る。
その後、静かに医師を呼ぶ。
「2時29分ですね」そう一言いい退室。この時から朝まで、また私達だけの時間。
「お母さんの温もりを感じて」そう声をかける私に子供達は長い時間、温もりの残る場所を探しながら感じ続ける。「柴田さん。おかあさん。未だ脇の下に温もりがある」そう微笑んだ娘の顔が友の顔に見えた。
一番下の娘が言う。「私は、死は怖いと思っていた。お母さんが死んでも、こんな風に触れるなんて思ってもみなかった。柴田さんが居てくれて、そうするように言ってくれたから、触れて感じることが出来た。本当に良かった。死ぬって怖いものではないんですね。有難うございました」
冷たくなっていく友の体に自分の温もりを伝えながら、朝を待つ。
温もりも冷たさも、命がけの友からの贈り物。命のバトンを体で受け止めることが看取る者の務め。人間として命のバトンを次の世代に伝え、立派に逝った友に感謝 合掌