非二元(ノンデュアリティ)に目覚め
「いまここ」に在り、
完全なる安らぎの中で二元を遊ぶ…。
ここは『私という幻想の世界
』

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おかえりなさ〜いヾ(*´▽`*)ノ
どうぞ ごゆるりと寛いでいってくださいね

人には、それぞれの見方や考え方があって、それがその人の世界として、その人の目の前に現れています。
「個」としての現れの中では、どんな見方や考え方があってもいいんです。それが「個性」というものであって、一つとして同じものがないからこそ「個」としての世界が成り立っているんです。
同じ「種類(名前)」の花であっても、その色や形は様々で、ひとつとして同じものはありません。
人もそれと同じです。
ですが人というのは、「違い(個性)」を認めることが苦手というか、同じでありたい、違うことは正しくないことだという見方をしがちです。
自分の中にある正誤の基準を判断の材料として、「個性」を肯定したり否定したりします。
ですが「個性」というものは、ただ単に「個」の「性質」として現れているだけなので、そこを肯定も否定もする必要はないし、判断するところではないんです。
相手の考え方が自分の考え方と違うからと言って、自分のことも相手のことも、人そのものを否定することはできないんです。
それは単に「考え方」が違うだけであって、人そのものが「間違っている」わけではありません。
「個」としての「性質」が違うだけなんです。ですから、考え方が違うからと言って、その人そのものを否定することはできないんです。
つまり、人と人がぶつかるのではなく「性質」と「性質」の違いが現れているだけなんです。
「個」としての世界の中では、バラという花に大きさの違いや形の違い、赤や黄色、白や青、ピンクやオレンジなど、色の違いがあるからって、バラはバラだし花なんですょ。
「私(個)」が白が好きだからって、白ではないバラ自体を否定することはできないんです。
そこは好きとか嫌いとかの「好み」の話であって、好みというものもまた「個性」だったりするわけです。
ですから、他人に対して自分の見方や考え方を押し付けることはできないし、する必要もないんです。
自分でさえも、「こういう見方をしよう」「こういう考え方をしよう」と思ったからって、そうそうできることではありません。それができていたら、そもそも悩まなくてすみます。
違いを認めるとか認めないとか、そういう話ではなく、違いはあっていいものだし、またあるからこそいいんです。
違いがなくなったら、好きも嫌いも、楽しいも嬉しいも無くなっちゃうんですょ。(まぁ、、、実際は無いんですけど)
だから、違いを認めたくないなら認めなくてもいいし、否定したければ否定してもいいんだけど、単なる「個性」の違いがあるだけ、「個」としての「性質」の違いが現れているだけなんですょ〜、だからこそ面白いんですょ〜、それがなければ楽しくないんですょ〜、という見方もあるんですょ〜というお話でした



ーーーー今日のMessageーーーー
本当は、な〜んにも無いけど、な〜んでもあるんです

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【なごみ☆奇跡の言葉】





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