非二元(ノンデュアリティ)に目覚め
「いまここ」に在り、
完全なる安らぎの中で二元を遊ぶ…。
ここは『私という幻想の世界
』

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おかえりなさ〜いヾ(*´▽`*)ノ
どうぞ ごゆるりと寛いでいってくださいね

あるから見るのではない。観るからある(在る)んです。
。。。と、出だしから語録のノリで書いてみました(笑)
これってね、例えば道端にひっそりと咲いている花って、それに気づく人もいれば気づかない人もいるでしょ?
気づいた人には「あるもの」だけど、気づいていない人には「ないもの」なんですよね。
誰かには「ある」けど自分には「ない」。自分には「ある」けど誰かには「ない」。
これってもう、認識できているかできていないか、知っているか知らないか(自分の中にあるかないか)ってだけなんですょ。
いくら誰かに「あそこに咲いてた花可愛いよね〜」と言われても、自分がそれを見ていなければ「えっ?何のこと?」ってなるわけです。で、言われた通り、帰り道に気にして歩いたとしても、緊急の電話が入ったりして、話に夢中になる余り、その花に気づくこともなく過ぎ去ってしまったとしたら、やっぱり自分の中にその花は存在しないわけです。で、次の日今度こそはと思いつつ花に意識を向けながら歩いてみたけど、その時には既に誰かに摘み取られてしまった後だったとしたら、自分の中には永遠にその花は存在しないままなんですね。
つまり、観たものしか存在しない。
観る(見る)から在る(ある)んです。
自分の中にある正しさや間違い、しなくてはいけないことや、してはいけないこと、、、そういうのって自分の中にあるだけなんですょ。そしてまた、それがあることを知っている(見ている)から、現実の全てがそのように見えてしまうだけなんです。
自分の中で「こうだ」「そうだ」と思っていることって単なる思い込みでしかなくて、決めつけて見てしまえば、もうそのようにしか見えないんですょ。
「ある」とか「ない」って実はとても曖昧なことなんです

ーーーー今日のMessageーーーー
拘りや思い込みを捨てたら見えてくるものがある。それは決して新しいものではなく、もともとそこにあった「あるがまま」「そのまま」「そのもの」というものです。
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【なごみ☆奇跡の言葉】





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