非二元(ノンデュアリティ)に目覚め
「いまここ」に在り、
完全なる安らぎの中で二元を遊ぶ…。
ここは『私という幻想の世界
』

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おかえりなさ〜いヾ(*´▽`*)ノ
今日もゆっくり寛いでいってくださいね

【愛という形なきもの】
与えたものが受け取ってもらえるとは限らない。与えられたものが受け取りたいものとは限らない。
人から受けた優しさが、別の人にも優しさとして伝わるとは限らない。
Aさんからもらった優しさは、Aさんと自分の間では優しさですが、同じ優しさがBさんにも伝わるとは限らない。
言葉をかける優しさもあれば、黙っているという優しさもある。
人は、それを求めている時だけ、受け取れるのです。
形なきもの(実体なきもの)は、その時その時、または与える側、受け取る側によって形が変わります。
形なきもの(実体なきもの)は、形がないからこそ、形を変えられるんです。
好きだからこそ許せて、好きだからこそ許せない。
優しいからこそ傷ついて、優しいからこそ傷つけてしまう。
強いからこそ堪え、強いからこそ諦められる。
守りたいからこそ庇い、守りたいからこそ責めてしまう。
形なきものは、「これはこういうものである」と決めつけることはできないんです。
「優しさとはこういうもの」「強さとはこういうもの」と、あなたにとってはそういうものでも、別の人には違うものかもしれない。
それでも「愛」は「愛」だからこそ、その全てを許しています。
愛は憎しみをも許すのです。
そこに愛があるから憎しみが生まれ、そこに愛があるから争いが生まれる。
優しさや温もりだけが愛ではありません。
怒りも悲しみも愛なんです。
愛があるから全てが生まれ、愛があるからこそ全てが存在しているのです。
正義も偽りも、愛があるから在るのです。
不安や恐怖も、愛があるから在るのです。
だから、どのような想いを観じていようと、自分を責める必要はありませんが、例え責めたとしても、それもまた「愛」は許しているのです。
自分という存在が愛そのものであることを「観る」ために、愛そのものであることを「知る」ために、全てが在るのです。
歓びも悲しみも、憎しみも怒りも、それがあるのは、在ることが許されているからです。
全ては愛の中で存在し、また全てが愛そのものなのです。
在ることを観じて、在ることを知るのです。
形あるものも、形なきものも、全ては「愛という形なきもの」の中に存在しています。そしてあなたが「愛」そのものなのです。
ーーーー今日のMessageーーーー
形なきものに、形を見ているのは自分です。
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【なごみ☆奇跡の言葉】





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