非二元(ノンデュアリティ)に目覚め
「いまここ」に在り、
完全なる安らぎの中で二元を遊ぶ…。
ここは『私という幻想の世界
』

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おかえりなさ〜いヾ(*´▽`*)ノ
今日もゆっくり寛いでいってくださいね

【持ち物検査】
人の数だけ世界(観)がある…と、クドイくらい(笑)に書かせていただいていますが、それって人の数だけ「普通」があって、人の数だけ「正しい」があって、人の数だけ「間違い」があって。。。つまり、人の数だけ「経験」があるわけだから、意味も理由も原因も結果も、全部ぜーんぶ人の数だけあるということです。見方、感じ方、思い方、、、起きること(現象)全てが人の数だけあるんですね。
こうして見ていくと、人間界においては意見の食い違い、価値観の違いなんて、あって当たり前のことなんですよ

でもこれを違う側面から見た場合、どれもこれも「無という一つのエネルギー(命)」の演出でしかないから、普通というものも、正しいも間違いも価値観というものも…全てが「無い」ということなんですけどね★彡
ま、それはさておき。
意見の食い違いで人と人がぶつかり合った時、、、これは「人と人」がぶつかり合っているのではなく、意見と意見がぶつかり合っているということ。つまり、それぞれが持っている「普通と普通」「正しさと正しさ」「価値観と価値観」がぶつかり合ってるだけみたいな。
それって、それぞれがそれぞれに持っている「持ち物の違い」みたいなもの。普段何を使って生きているか(何を正しいとして生きているか)みたいな。
学生の頃、学校で「持ち物検査」ってありませんでしたか? しかも抜き打ちで(笑)
そんなような雰囲気で、自分の中の「普通」を抜き打ち検査してみると、自分の中の「正しさ」を発見できるんですょ。
「普通は〇〇だよね」「普通はさ〜」「それって普通じゃん」「普通そうするでしょ!」って、何かにつけて「普通」という言葉を使ってしまいませんか?
自分の中にある「普通」というのは、無意識のうちに出来上がった「正しさ」ということなわけで、要は自分にとっての「正解」ということなんですよね。
「これが正解」「これが正しい」という基準?ものさし?みたいなものを使って判断すれば、人との食い違いが出たとしても、なーんにもおかしなことではないんですょ。
だって、人の数だけ「ある」のだから。
本当はどれも正解ではないし、どれも間違いではないんですよね。
人の数だけ「あっていい」と許されているから「ある」のだし。。。
意見が食い違うと、ついつい「それは違う、普通は〇〇でしょ」と、反発したくなりますし、自分の中の「普通(正しさ)」を主張したくなりますが、その時にふと「あ、違ってもいいんだった」と思うことができたら、自分が「ラク」になれるんですよ。
「相手の正しさを認める」というと、悔しいしイラつくこともあると思うんですょ(笑)だって誰しも自分のことは守りたいですもんね★彡
だから、相手の正しさを認めるという見方をするのではなく、「あ、違ってもいいんだった」と、「違いを認める」という見方をするといいと思います。
「普通と普通」「正しさと正しさ」をぶつけ合っても、そこに正解はないのだから終わりもありません。
人の数だけ世界があるのは、それぞれがそれぞれに、いろんな世界を「見て」「知る」ことができるということ。
世界は一つだけど、一つだけではつまらないですもんね(*^_^*)
「見て」「知る」ことが歓びなのですから

ーーーー今日のMessageーーーー
「同じ」って安心する。でも、「違い」がないと「同じ」もわからないんです。
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【なごみ☆奇跡の言葉】





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