200円。
それが僕たちB型作業員に与えられる、通常の工賃である。
箸袋に箸を詰めたり、お菓子を袋詰めしたり、お風呂に入れる垢取りボールを箱に詰めたりといった作業をして、その対価として、いただけることになっている。
確か法律で定められた愛知県の最低時給が840円くらいのはずなので、それと比べると、僕らが貰っている額はとても少ないといえる。
そう、僕らは法外な条件に耐えて労働しているという点では、一般人より余程タフでエリートな労働者なのだ。
B型作業所には月に5~6人、見学に来る新人がいるが、大抵2度と来る事は無い。
入り口では「よろしくお願いします!よろしくお願いします!」と礼儀正しく入場してくる人も、帰る時は誰とも目を合わさずそそくさと帰っていく。
おそらく仕事内容の説明を受けた際、この200円というのを聞いて、幻滅してしまうのだろう。
気持ちはわかる。だから逃げるように去っていく彼らの後姿を追うことも無い。僕だって最初聞いた時そうだった。
「ははっちょっと何いってんのかわかんないっすね。」
と、生まれて初めてするサンドイッチマンのモノマネで所長にツッコミを入れたものだ。
そして驚かないで欲しいのだが、さっきから言っているこの200円というのは
日当の話なのである。
時給じゃないのである。
「ふぁっ!??」
という驚きの声が2階から聞こえてきたら、ちょうど所長がこの日給200円のくだりを説明したんだなとわかる。
そして、200円の日給の中から僕らは
交通費を払い。
お昼ごはん代の100円を払い。
お茶を買い。
タバコを買っている。
一体どうやってやりくりしているのか。どういう計算なのか。
物理的に不可能なものが、そこにはある。
だがそこを追求された時
僕らはニヤニヤして誤魔化すことにしている。
「ものごとを最後まで追求してはいけない」
B型作業所に定められた、暗黙のルールである。
この特殊空間では、あらゆる面倒や不都合は、追求されずに終わることになっている。
日当200円のことを職員に突き詰める作業員は誰もいないし、日常会話においても、相手が答えたくなさそうな雰囲気をだしたら話題を変えてそれ以上追及しない。他人の過去も基本聞かない。
昨日まで来ていた作業員が蒸発しても、誰も探さない。
でも相手を詰める、ということを徹底してしないかわりに、自分が詰められることもない。
仕事でミスをしても誰からも怒られず、半笑いでフォローしてもらえる。
箸の袋詰め作業を途中でほっぽらかして帰っても、夜中のうちに妖精さんがやってくれて、朝来たら綺麗にフィニッシュされている。
ぶっちゃけ、「今日は作業したくないんです。」と真剣な面持ちで訴えれば、自分だけ何もせずに椅子に座っていてもよい。
ていうか2階で寝ててもよい。
人間関係でトラブっても、職員が間に入ってなかったことにしてもらえる。
この、詰めず、詰められずという関係がとても居心地よく感じる。
病気を悪化させないためには、このふわっと感が非常に重要なのだ。
だから、僕らはこの200円という日当に不満を持っていない。
今までの人生。これからの人生。そのあらゆることをふわっとさせておいてもらえる場所と時間を与えられたかわりに、こちらも目に入るあらゆることをふわっとさせておくのだ。
僕らは、ある日ふわっとこの作業所を訪れ
いつの日か、ふわっと去っていく
僕ら200円の労働者たちは、空にかかる雲のように、ふわっと、純粋に毎日を生きている。