さて月曜日。

サマータイムが終わり1時間遅くなって、なんかのんびり。でも、すぐ慣れちゃうんだろうな。

ピアノ・メモ。

◎テノール.  ◎デタッチ.

この2点に神経をはらって練習してみよう。 なんだかとても楽しいんですがね。歌ですよね、歌。

◎絶対に家では速く弾かないこと。 密に密にゆっくりゆっくり音を聴きながら練習する事。

◎舞曲なんだろうけど、その舞曲の”様式”っていうのが実はよく分からないんだけど、声部間のやりとりが私には聴こえてくるんですよね。
このジーグ、4声に聴こえてきます。 
で、互いに楽しくやりとりしながら軽快に曲が進んで行くように聴こえます。 
まあ、考えてみれば、舞曲って複数で踊る時は互いの呼吸やリズム等に反応しながら、上手く合わせながら、たまには投げかけたり受け取ったりしながら、そういう事を楽しみながら踊るものだろうと思うので、別に舞曲の定義だかなんだかしらないけど、そういう”カテゴリー”から、そう逸脱はしてないんじゃないかと素人は思うのでした。もとは生命の輝きや息吹なのだしね。私はどうしてもそこにいってしまうのです。これも個性なのかな?よくわからないけど。

追記ー

今、思い当たったのですが、ステップや振り付けが決まっているというのは、複数で踊る場合、大切なことなのだろうと。決まり事があることで、共有体験とか一体感とか共鳴し合えるとか、そういう高揚感が出ますよね。決まり事という制約があるから、その中で安心して個性ものびのびと出せるというのもありだと思います。完全な自由は、興味深い半面、見ている人に不安も与えますからね。みんながみんなクリエイティブな訳じゃないし。よって、”様式、形式”ってものの重要性があるのでしょうね。階級社会で身分制度がハッキリした時代だっただろうし、決まり事というのは物凄く大切でかつ、それを備える事が教養人の条件のひとつだったのだろうと推測します。身分が上の人に不安感や不快感を与えちゃダメだったんだろうなあって、想像します。まずは形式と秩序と安定だったのかな?上の子はこういう歴史に詳しいので今度訊いてみよう。(「自分で本を読みなさい」 という声が聞こえる)

追記終わりー



そうだ!ビデオを何度も見返して気づいたんだけど、

下の子、ラヴェルの、最初の大波の表現部分で、難しいところをすっ飛ばして弾いてるーーーー。

テンポ的にはあってるし、音楽は壊してなかったけど、そこ、すっからかんになっちゃってるよ。

で、昨日、練習しました。音抜けはダメダメ。その部分、技術的に難しいんだよね。イメージを持って地道な練習あるのみ。

◎音の響きの充実度を自分の耳で(というか耳の周辺やこめかみ、首筋で音を感じ←変?)体験する事。これがはやはり基本だと思います。耳が許さないっていうか、そういう感じ。難しいけどね。心意気さ。
下の子、出来てる時もあるんだけど、難しい曲だとテクニック的にアップアップになっちゃって、平行してやっていくのは本当に努力と忍耐と習慣がいるのだと思います。わかっちゃいるんだけどね。難しいよね。
こういうのを地味に助けてくれるのが呼吸だと思うんだけど、そういうこと教えてくれる先生、まず、いなかったりする。少なくとも私の周りにはいない。私達はうちの先生にしか習ってないんだから、つまり、うちの先生はそういうことあまり言わないってことですね。じゃあ、質問してみましょう。でも、この質問はもうちょっと下の子と話し合って、明確にしてから質問した方が良いと思われます。あまりに漠然としてるし、どう質問していいのかよくわからないし。質問するのも難しいもんですね。