上の子の大学進学用の資料作りの為、このブログや今までのコンペで戴いてきたジャッジ・コメントを読み返しました。
ブログを読み返すのは、なかなか大変で先に進まないのですが、ジャッジ・コメントは10歳の頃からのものを8年間分、これも結構な量です。ざっと読み返し中です。
当時は、喜んだり傷ついたり、一喜一憂でした。コメントだけじゃなくて、順位がついてしまうからだと思います。
今、時間が経って読み返すと、どのジャッジも悪気があって書いている訳ではないんだろうなとは思いました。
文字が解読出来ないお方もいます。
コンペ関連だけでなく、毎年参加してきた多くのリサイタルやワークショップのプログラムなども大量にありました。
私は親ですから、この一枚一枚のプログラムに繋がる日々の練習や準備、本番の緊張を思い出します。
夢中で過ごしてきた8年間ですが、
いずれにしても、ピアノに関しては、これだけのことを積み重ねてきたんだな、と思いました。
ある意味、総て先生のお陰だと思いました。自分達だけでは絶対に得られない貴重な経験ばかりです。
どれも、先生が参加のチャンスを与えて下さったからこそ、これだけの経験を積めたのですから。
ピアノを頑張るって、子供達にとってはいい事ばかりでは無いと、正直思いますが、
ピアノを頑張ってやることは、日々の練習や本番の緊張の実体験を通じて、そう簡単には培えない”何か”をプレゼントしてくれる習い事であるとも思います。
私には、「培われた何か」が何なのかは今の所わかりません。
それが何なのかは、子供達自身が今後の人生を過ごす上でわかってくるのかな。。。。
ピアノじゃなくても、他の楽器だったり、スポーツだったり、ボランティアだったり、何かに頑張って取り組めば、
少なくとも貴重な経験、実体験は積めるのだと信じたいものです。
それにしても、漠然と感ずるのですが、何かの途上にあることって、まだまだ先に可能性が残っていて希望があるので、ある意味気楽さがあります。
でも、こういう風に、今までを総括するのって、何だか、、、恐い、、、、それは、コンペに出る前1週間みたいな、そんな感じ。
自分の成績などに自信のある人は、総括する事で更に元気がでるんでしょうが、そうでない私達は気分が滅入ってきます。。。。今までやってきたことに本当に意味があったんだろうか?って。
上の子は、最年長のグループまでピアノを続けコンペに参加し、最後に一番良い結果を出しました。
これは、本当に私にとって嬉しいことだったんだけど、それでいいんだろうけど、それは上の子の将来に繋がって行く事なのかなあ?と不安にもなります。
先日のランチで、そういうことを言っていたお母さんがいらしたので、皆、同じなんだなあとも思いました。
人それぞれの人生なんだから、仕方ないか。
私の近くに、すぐ こういうことを言って自分を正当化する人がいます。
「~って、こういうもんよね。なぜなら、私の周りの人達がみんなそう言っているから。」
つまり、常に効率的に正解を求めていて、その自分の選んだ”正解”を熱心に自己主張するのです。
他は認めない勢いです。 きっと、その”正解”を選んだ自分を勇気づけているのでしょうけどね。
この人に会うと、ホントに頭が痛くなります。なんかもう、私なんて全否定されてるみたいでね。私の仲良しの友達も以前そうこぼしていたので、私だけでは無いんだとちょっと安心しましたから、まあ、いいんですけどね。
以前、日本で、「~と、バッサリ」 というフレーズが流行ったと思うのですが、
「バッサリ」と、一言のコメントで何かを言い切ってしまえるのって、すごく嫌だな。 その背景にあるものを無視してるみたいで。
「バッサリ」した人は、気分いいでしょうけどね。 「バッサリ」される側は今までの時間と苦労を一言で片付けられちゃって、切り捨てられた上にレッテル貼られたみたいで嫌だと思う。
「バッサリ」の対象にもよりますよね。
うじうじ考えても意味の無いことを「バッサリ」して気分新たに前に進むのは、「バッサリ」の良い使い方なのでしょうね。
そうよね、相手の価値観でいきなり「バッサリ」切ってくるんだから、切られてうじうじしているこっちも、切ってきた相手を「バッサリ」しちゃえばいいのよね。 立場は対等なんだから、気分爽快に前向きに行けばいいのよね。
なんか、彼女に会う度に同じ事考えてるような気がする。(笑) 相性が悪いとしか言いようが無い。そんでもって長い付き合いなのです。。。深く考えなきゃいいのよね、つまり。
おっと、まあた愚痴ってしまった。まあ、日記ブログなんだから良しとしよう。
上の子のピアノは繊細で美しいので、本当に嬉しい。音に清々しさもある。 コメントを読み直すと、ストロング リズム と沢山書かれてあった。 実は、全く気づいてなかったのだが、彼はリズム感が良かったんだ(驚)。 だから、現代曲が結構来たんだなあ。 いつも私自身が自己否定してたから、彼の良さに気づいてあげられなかったなあ。。。。親失格だ。 テンポのキープに問題があるのは指摘されていた。
シューベルトソナタにしても、ジナステラにしても、「こんな難しい曲、子供に与える方が悪い」みたいなニュアンスで書かれてあったコメントが多々あった。「選曲ミスだ」と。
先生に対するコメントだよね、これら。 私は何とも言えない。
だって、総ての成長はリスクを伴うものだ。 そして、総ての選択はリスクをとってるという事なのだから。
だから、皆、先延ばししたがるし、決定したくない。先生だって、生徒の結果がモロ自分に跳ね返ってくるのだから。 先生もリスクをとっている。
ジャッジはある意味その場限りの人だ。でも、生徒と先生との関係は長く続く。少なくとも私達は。
そうか、信頼関係があるからこそ、実はこういうことも出来るのかもね。
私は、感傷的に勝手に一区切りつけてないで、たった今から、次に向かって気を引き締め頑張らないとね、先生のお気持ちに答える為にも!
そして、8年間通じて、上の子の大きな問題は、sustain なのだ。 よくわかった。 側で見てたらシューマンもそうだったと思う。
今年も、じりじりじりじり前進だ。
ブログを読み返すのは、なかなか大変で先に進まないのですが、ジャッジ・コメントは10歳の頃からのものを8年間分、これも結構な量です。ざっと読み返し中です。
当時は、喜んだり傷ついたり、一喜一憂でした。コメントだけじゃなくて、順位がついてしまうからだと思います。
今、時間が経って読み返すと、どのジャッジも悪気があって書いている訳ではないんだろうなとは思いました。
文字が解読出来ないお方もいます。
コンペ関連だけでなく、毎年参加してきた多くのリサイタルやワークショップのプログラムなども大量にありました。
私は親ですから、この一枚一枚のプログラムに繋がる日々の練習や準備、本番の緊張を思い出します。
夢中で過ごしてきた8年間ですが、
いずれにしても、ピアノに関しては、これだけのことを積み重ねてきたんだな、と思いました。
ある意味、総て先生のお陰だと思いました。自分達だけでは絶対に得られない貴重な経験ばかりです。
どれも、先生が参加のチャンスを与えて下さったからこそ、これだけの経験を積めたのですから。
ピアノを頑張るって、子供達にとってはいい事ばかりでは無いと、正直思いますが、
ピアノを頑張ってやることは、日々の練習や本番の緊張の実体験を通じて、そう簡単には培えない”何か”をプレゼントしてくれる習い事であるとも思います。
私には、「培われた何か」が何なのかは今の所わかりません。
それが何なのかは、子供達自身が今後の人生を過ごす上でわかってくるのかな。。。。
ピアノじゃなくても、他の楽器だったり、スポーツだったり、ボランティアだったり、何かに頑張って取り組めば、
少なくとも貴重な経験、実体験は積めるのだと信じたいものです。
それにしても、漠然と感ずるのですが、何かの途上にあることって、まだまだ先に可能性が残っていて希望があるので、ある意味気楽さがあります。
でも、こういう風に、今までを総括するのって、何だか、、、恐い、、、、それは、コンペに出る前1週間みたいな、そんな感じ。
自分の成績などに自信のある人は、総括する事で更に元気がでるんでしょうが、そうでない私達は気分が滅入ってきます。。。。今までやってきたことに本当に意味があったんだろうか?って。
上の子は、最年長のグループまでピアノを続けコンペに参加し、最後に一番良い結果を出しました。
これは、本当に私にとって嬉しいことだったんだけど、それでいいんだろうけど、それは上の子の将来に繋がって行く事なのかなあ?と不安にもなります。
先日のランチで、そういうことを言っていたお母さんがいらしたので、皆、同じなんだなあとも思いました。
人それぞれの人生なんだから、仕方ないか。
私の近くに、すぐ こういうことを言って自分を正当化する人がいます。
「~って、こういうもんよね。なぜなら、私の周りの人達がみんなそう言っているから。」
つまり、常に効率的に正解を求めていて、その自分の選んだ”正解”を熱心に自己主張するのです。
他は認めない勢いです。 きっと、その”正解”を選んだ自分を勇気づけているのでしょうけどね。
この人に会うと、ホントに頭が痛くなります。なんかもう、私なんて全否定されてるみたいでね。私の仲良しの友達も以前そうこぼしていたので、私だけでは無いんだとちょっと安心しましたから、まあ、いいんですけどね。
以前、日本で、「~と、バッサリ」 というフレーズが流行ったと思うのですが、
「バッサリ」と、一言のコメントで何かを言い切ってしまえるのって、すごく嫌だな。 その背景にあるものを無視してるみたいで。
「バッサリ」した人は、気分いいでしょうけどね。 「バッサリ」される側は今までの時間と苦労を一言で片付けられちゃって、切り捨てられた上にレッテル貼られたみたいで嫌だと思う。
「バッサリ」の対象にもよりますよね。
うじうじ考えても意味の無いことを「バッサリ」して気分新たに前に進むのは、「バッサリ」の良い使い方なのでしょうね。
そうよね、相手の価値観でいきなり「バッサリ」切ってくるんだから、切られてうじうじしているこっちも、切ってきた相手を「バッサリ」しちゃえばいいのよね。 立場は対等なんだから、気分爽快に前向きに行けばいいのよね。
なんか、彼女に会う度に同じ事考えてるような気がする。(笑) 相性が悪いとしか言いようが無い。そんでもって長い付き合いなのです。。。深く考えなきゃいいのよね、つまり。
おっと、まあた愚痴ってしまった。まあ、日記ブログなんだから良しとしよう。
上の子のピアノは繊細で美しいので、本当に嬉しい。音に清々しさもある。 コメントを読み直すと、ストロング リズム と沢山書かれてあった。 実は、全く気づいてなかったのだが、彼はリズム感が良かったんだ(驚)。 だから、現代曲が結構来たんだなあ。 いつも私自身が自己否定してたから、彼の良さに気づいてあげられなかったなあ。。。。親失格だ。 テンポのキープに問題があるのは指摘されていた。
シューベルトソナタにしても、ジナステラにしても、「こんな難しい曲、子供に与える方が悪い」みたいなニュアンスで書かれてあったコメントが多々あった。「選曲ミスだ」と。
先生に対するコメントだよね、これら。 私は何とも言えない。
だって、総ての成長はリスクを伴うものだ。 そして、総ての選択はリスクをとってるという事なのだから。
だから、皆、先延ばししたがるし、決定したくない。先生だって、生徒の結果がモロ自分に跳ね返ってくるのだから。 先生もリスクをとっている。
ジャッジはある意味その場限りの人だ。でも、生徒と先生との関係は長く続く。少なくとも私達は。
そうか、信頼関係があるからこそ、実はこういうことも出来るのかもね。
私は、感傷的に勝手に一区切りつけてないで、たった今から、次に向かって気を引き締め頑張らないとね、先生のお気持ちに答える為にも!
そして、8年間通じて、上の子の大きな問題は、sustain なのだ。 よくわかった。 側で見てたらシューマンもそうだったと思う。
今年も、じりじりじりじり前進だ。