マスコミの果たすべき役割 | 面怒宇九斎のブログ

マスコミの果たすべき役割

議院さん選挙落ちればただの人。


どんなに高邁な理想を掲げても、議院の資格を失えば目指す理想も叶わない......実現したいものがあればだ。


仮に議員になっても力が無ければ目指す目標・理想は実現出来ない。


議員になっても公共事業を筆頭に、本来地方議員が扱うべき案件に振り回され、貴方が目指す目標はそんなレベルの理想だったのか?・・・・


議院内閣制で、首相が議員によって選ばれる以上、「力」=「数」ならば派閥に・・・それが政界の常識。


衆議院議員の任期は四年だか、任期満了での選挙は極めて稀で任期満了まで解散が出来ない首相は政争の渦に巻き込むまれ、追い込まれて苦境に立たされている場合が多い。


だから年中の様に選挙があり、選挙には金がかかる。派閥の中で力を得るには金がかかる。派閥自体にが力を得るにも金が必要。


任期の半分を過ぎた頃から政界は解散時期が吹き始め、政権与党の権力抗争の度合いにより解散風の吹き具合の強弱がきまる。


記憶ではドイツの首相には解散権は無く「任期満了選挙」が当たり前。日本の首相には解散権があると言うが、その解散権にも憲法解釈上、疑問を呈する意見もある。


金・金・金・・・・誰が何と言おうが金がものを言う。金に色はないから「裏金」と言われる使い勝手の良い金はありがたい存在だ。




今回の裏金問題・・・・・政治資金規制方法や派閥問題等に矮小化されて、多少の規制強化されるだろうが根っ子の部分はウヤムヤの内に終わり、やがてザル法の抜け穴を潜り元の木阿弥となるだろう。


何故なら検察に対し「トカゲのしっぽ切り」的な野党第一党の頭首を筆頭にレベルの低い発言しか出ない実状からだ。



根っ子の部分は「政治の役割分担」と「選挙制度」など多岐にわたる。


日本の国土はアメリカ合衆国並と言えば「????」と思う人は多いだろうが、アラスカを除けば北海道から南は沖縄まで南北の距離は差ほど変わらず、東西の幅が違うだけで南北の地域差は大きく、ニーズの多様性は大きくな違いがある。


明治維新、廃藩置県で新生日本を統治するのでに中央集権での統治は富国強兵や国際化にとっては有効であった事は多言を要しない。


でも、それは有効不滅ではない。


時代の変化への対応は企業だけの話ではなく、下は個・個人の問題から上は国家体制に至るまで、全てに当て嵌まる。


中央集権の統治から落ちこぼれる地方の疲弊を見れば、第二次安部内閣が打ち出した「地方創成」に期待したが、何の目立った成果もあげられず今日に至り、「消滅都市」の言葉が現実味を帯びる。


「道州制度」・・・地方にとって江戸時代の藩制の方が、そこに住む住民にとっては余程幸せな生活を送っていたにちがいない・・・と思う人は少なくない。

お金と人の配分が変われば、地方で自分の理想を実現したい人、国際社会で国家事業の理想を目指すなら地方権益から切り離された立場で国家運営を担って欲しい。


民意の反映・・・・・・が選挙ならば、今の選挙制度が民意を

反映しているか問うて見れば良い。


選挙制度改革で小選挙区制を導入し、二大政党による民意を反映した政権交代を容易にする事だった筈だ。


然るに二大政党どころか、多様化の中で政権の旨味を知っている自民党は固まり、野党だけが少数分裂して政権交代など実現性は遠退くばかりだ。


選挙制度が変わり、やっと実現した政権交代も鳩○首相や、菅○相当政権運営への失望感、トラウマが政権交代への期待をうしなわせている。


小選挙区制が本当に民意の反映かを問えば、全国の政党別得票数を見れば一目瞭然だ。判りやすい直近の2022年参議院の比例制の全国得票数は1826万票で34.4%にかしか過ぎない。

多かれ少なかれ自民党の得票数は過半数どころか40%を大きく超える事はない。


小選挙区制は民意を反映させない制度である事は否定出来ない。制度検討の際に「落選」を危惧する議員が「比例復活」なんて無茶な制度を取り入れるものだから、「退場」を迫った民意を覆し議員にしがみつく姿勢に多くの国民は落胆した。


更に「小選挙区制」は地盤・看板を背負った二世・三世議員を跋扈させ、新人が当選するにはタレント上がりか、金に頼るか・・・窓口は狭い。


比較する話ではなくいが、ドジャース入団の山本由伸投手がオリックスへの入団時ドラフト4位。過去の例でもドラフト1位が低迷しイチローの様に下位入団で活躍する選手は多い。


小選挙区制では埋もれた人材を失うだけた。



[根っ子の議論]

1.道州制の採用による地方と中央の役割分担。

2.それに見合った選挙制度の見直し。

3.議院内閣制の見直しと首相公選制の良し悪し。

4.道州制による中央官庁と地方の役割見直し。


今の国会で「政治と金の問題」は些末な議論に終始するのは明らか・・・・・国会議員の身分や制度を当事者に議論させても、根っ子の部分を変えられるとは思えない。



今こそ、「民の力」を頼るべきで、それを主導するのが「マスコミの力」だと思うが、マスコミは批判するだけで、改革を促す姿勢がみれない・・・・・・如何かなものかと思ういませんか・・?