鶴見辰吾・草刈民代 「兄帰る」
【勝手に評価】 ★★★★★(人間の性とは何か?)
【あらすじ】
季節は夏、中村保(堀部圭亮)、真弓夫婦(草刈民代)の住む家の居間が舞台。
広告業界との付き合いが多く、常に時代の半歩先を行くようなライフスタイルを心がけている保と、フリーライターの真弓夫婦は、一人息子をオーストラリアのファームステイに送り出し、二人で充実した夏休みを過ごす計画を立てていた。
そんな矢先、多額の借金を抱えて雲隠れし、10年以上も行方不明だった兄の幸介(鶴見辰吾)が訪ねてくる。「今度こそやり直します、今度こそ、今度こそ…」と頼み込み、幸介は保の所に居座った。遊び人のうさん臭さプンプン、しかも初対面の男に、いきなり家族扱いされる真弓は大迷惑である。それに就職先などそう簡単に見つかるわけがない。
ついに親戚が登場した。しかしお互いの対立や責任の押し付け合いで、話は一向に進まない。損得勘定抜きに話の全体を見渡せるのは幸介だけだというおかしな状態になってくる。真弓もまた、このやりとりを白けた思いで聞いていた。
この一族が、どんなにその場しのぎの生き方をしてきたかがよくわかったからである。また、親戚だという理由だけで、いがみ合いながらも共同体意識だけは崩さず、事の決定権を握りつつあるのが奇妙でならない。
幸介は、自分と同じように傍観者になってしまった真弓に親近感を抱きだした。 こうして、敵対関係にありながらも、幸介と真弓の間に不思議な交流が生まれ始め…。
この舞台装置・大道具…素晴らしい(開演前にパチリ)
【感想】
l 「人の悪口は嘘でも面白い。自分への悪口は本当でも腹が立つ…」とよく言われる。この芝居は「身内の悪口は、身内ゆえに辛辣でもっと面白い…」一言で言えばそんな感じだ。
l 二兎社公演で永井愛さんの作・演出の芝居は3年続いて居る。2年前は沢口靖子と吉田栄作の「シングルマザー」(これは急性腸内感染で入院し見逃した)、昨年は佐々木蔵之介、平幹二朗の「こんばんは、父さん」に続き、今年は鶴見辰吾と草刈民代の「兄帰る」だ。
l 今年は8月初旬から東京芸術劇場での1ケ月公演の後の全国巡回公演だ。長久手市の文化の家は小さな劇場だが演劇には最適劇場で、役者と観客の距離感は絶妙だ…と言う。
l アフタートークで司会者から毎年この劇場に来る理由を問われ…「この劇場に来ると、軽いリハーサルで役者さんが舞台に立つと異口同音に『素晴らしい劇場ですね』と思わず口にする。それも楽しいのだ…」と語る。
l 最近こそ余り他の劇場に行く機会が少なくなったが、客席に居て役者の息遣いまで感じられ、声の通る劇場は滅多にお目に掛かれないので納得だ。
l 「兄帰る」は正論を吐き続ける真弓(草刈民代)と、人生をやり直したいと願う義兄幸介(鶴見辰吾)を中心に真弓の夫(堀部圭亮)その姉(伊藤由美子)、叔父(二瓶鮫一)、叔母(藤夏子)が幸介の再就職へのドタバタ劇を次々と新しい問題・エピソードが絡み、笑とため息が交じる展開。
l そのエピソードを通じ幸介のいい加減な過去の暮らしぶり、家族へ迷惑をかけたイキサツが浮かび上がる。周囲がこの迷惑者の幸介への押し付け合いを演じながら、結局は自分の損得でしか動いていない様を浮かび上がらせる。
l 正論を吐き続ける真弓の職業はフリーライター。いい加減なエステの提灯記事に嫌気を感じながら収入の途は確保しておきたいと言う矛盾を抱える。私生活ではオーストラリアにホームステイをしている息子を理由に野球チームのお手伝いから逃避し、気の弱いママ友(枝元萌)の優柔不断さに、自分の正論に自信を失いかけている。
l 義兄問題とママ友関係の煩わしさから向かう顛末は…。
l とてもテンポが良く、最近の中では出色の出来だ。 時々噛む草刈(彼女だから許される)のダンサーとして鍛えられた身体の動き、ロードバイクで鍛えたスリムな身体の切れの鶴見(TVなどで嫌な役が多いが見直した)との絡み合いは見ていて楽しい。
l 幸介の「やり直した」と言うのは人間の持つ「希望」だと解説は言う。然し、それよりもこの芝居でのクローズアップされるべきは「人間のさが=誰もが持ち得る、そして犯しやすい小さな悪の芽」ではないだろうか…。
l 最後に幸介が真弓の育てた鉢花を持ち出す姿を見て、震え慄くさまは正論(本音)と建前(嘘)の狭間で、どちらの側に堕ちるのかを真弓が感じたからだろうか…(と私の勝手な解釈)
【お薦め度】 ★★★★★(本音だけではこの世は渡れない)