恒例の薄っぺらな正義によるテレビ批判が始まった。
昨年大晦日の「笑ってはいけない」で
浜田雅功が、映画「ビバリーヒルズ・コップ」の
エディ・マーフィーに扮して
顔を黒く塗って登場するシーンだ。
日本在住の黒人作家、バイエ・マクニール氏が
「ブラックフェイスやってる日本人に告ぐ。
ブラックフェイスはジョークのオチなんかじゃない。
ジョークが欲しいならもっと良い脚本家を雇え。
黒人キャラが欲しいなら日本語を話す黒人を雇え。
ブラックフェイスはや め ろ」
とツイートしたことから始まった。
ブラックフェイスはオチではない。
全くその通りで、黒人を笑っているワケではない。
肌の色で笑ってるワケではないし
黒人をバカにしてるワケでも
下に見ているワケでもない。
全員がアメリカンポリスに扮装する中で
一人だけエディ・マーフィーになってることが
面白いのだ。
エディ・マーフィー風の浜田が
普通の顔で横にいることが面白いのだ。
そもそも、黒人というだけで
警察官が暴力を振るうようなアメリカ人の差別を
日本に持ち込むことに違和感がある。
どっちが人種差別後進国なのか…って話だ。
エジプト出身のタレント・フィフィ氏も
「黒人に扮しただけで差別って?
そう指摘する人達こそ、優劣を付けて人種を見てる気がする」
と発言。
その通りだと思う。
更にベッキーの尻キック批判だ。
本当に、ベッキーが可哀想だと思った。
尻キックを受けたことではない。
キックされたことを哀れに思われてしまうことが
可哀想でならない。
もう、ベッキーは
何をしても批判されてしまうのか…。
ベッキーに「いろいろ大変だったね」と
どんだけ優しい声を掛けてあげたところで
テレビに完全復帰出来ていないのがベッキーの現状だ。
だからこそ、いろんなことを清算させてあげるための
禊のタイキックであり
これはむしろ番組としての愛情なのだ。
ダウンタウンは面白がってたのではなく
笑ってあげてたのである。
笑ってすら貰えないと
ベッキーの存在価値までなくなってしまうから。
出川哲郎が
「『かわいそう』と思われないおじいちゃんになるのが夢」と
語っていたが
笑いを取りに行って「可哀想」と思われたら
もう存在価値はなくなってしまう。
尻キックを批判している人は
ベッキーの存在すら批判してることに
気付くべきだ。
ベッキーの頑張りに水を差ささないで欲しい。